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現代の仏陀は、つねづね寛容の精神の大切さを説かれています。

このご説法では、原理主義が宗教間紛争の原因であると指摘されています。




釈尊の晩年に反乱を起こした提婆達多という人は、
現代では極悪非道の人として描かれています。
確かにそういう面があったことは事実ですが、
彼が釈尊と対立した原因は、主として教団運営の方法にありました。
釈尊成道後まもないころは、出家者たちは主に山林のなかに住み、
托鉢によって生活していました。
托鉢は、はじめは朝夕の二回でしたが、それでは信者の経済的負担が重いため、
やがて朝の一回のみで満足することになりました。
しかし、教団がしだいに大きくなるにつれて、
経済的に教団を支えてくれる人が出てくるようになります。
竹林精舎や祗園精舎という二大拠点ができるころには、
釈迦教団は、国王の帰依を受けるまでに声望も高まり、財政的にはかなり安定していました。
たとえば、釈尊は何百人もの弟子とともに在家の有力者の家に招かれ、
そこで説法をし、食事等の供応を受けることもありました。
また、教団が貧しかった初期には、僧侶たちが着ているものも、
非常に汚いものの代表である糞掃衣でした。
死体が着ている服を墓場から集めてきて、それを縫い合わせて布をつくり、
柿色に染めて修行衣として着ていたのです。
しかし、在家の信者団体が確立してくると、立派な衣服を布施してもらえるようになりました。
このように、教団の確立に伴って運営方法も変わっていったのです。
ところが、釈尊七十代の晩年に、提婆達多が、「初期には『出家者は家のなかでは寝ない。
托鉢だけで生活する。着物も糞掃衣で通す』と言っていたのに、
教団が大きくなるにつれて、だんだん贅沢になってきた。
やはり原点に返って、乞食体制に戻るべきだ」と主張し、
教団運営をめぐって対立が起きたのです。
釈尊は、「大事なのは内容であり、運営方法にあまりこだわる必要はない」と考えていたので、
在家の人たちから経済的な布施を受け、
それを充分に活用して教団を維持する方法をとりました。
ここが対立点の一つであり、非常に重要な点でもあります。
この考え方を見ると、釈尊という人は、いわゆる原理主義者ではなかったことがよく分かります。
現在でも、仏教やキリスト教、イスラム教などのうちの原理主義者たちは、
原始教団ができたときのやり方を杓子定規にそのまままねようとする傾向があり、
「違うやり方を絶対に許さない」という非常に潔癖な宗教運動をしがちです。
そのため、彼らは、現代においてはテロリストになることが多いのです。
筈の上げ下ろしのような、作法の多少の違いも許さないという厳しい責め方をしていると、
最後は相手を抹殺するところまで行ってしまうわけです。
したがって、原理主義運動をしている教団は、宗教を問わず、
どこも反体制的な運動やテロリスト的な運動をすることが多いようです。
「少しの違いも許せない」という気持ちが強いのでしょう。
非常に潔癖で杓子定規な発想をし、寛容の精神がほとんど見られません。
これは、「応用がきかない」という、知性、知力の欠如の問題でもあります。
彼らは、時代が変わっても、その変化を認めることなく、
何百年前、何千年前と同じようにやろうとします。
そのような考え方のなかにも純粋な信仰心はあるのですが、
タイムマシンで時代をさかのぼったように、過去の段階のままで止めようとすると、
それが時代錯誤を生み、反社会的行動につながりやすいのです。
仏教においても、釈尊没後、四、五百年ごろに盛んになった大乗運動に対して、
「大乗仏教は仏(釈尊)の説いたものではない」という、
「大乗非仏説」の考え方がありますが、それは正しくありません。
大乗への流れは、釈尊自身が許容した範囲の、
運営方法の変化、活動形態の変化であると言ってよいのです。





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