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仏教は宗教であります。
宗教学者や神学者はたくさんいますが、
その真髄は、いわゆる霊能者にしか分からないこともあるのです。

その意味で、シュタイナーの仏教論は、やはり秀逸です。




仏陀と仏教とについては、今日かなり多くのことが言われている。
仏教の本質についての関心、
ないしはもっと正確に言うならば、仏教を理解しようという憧れが、
ヨーロッパにおける精神生活の内部で、さほど古い歴史を持つものではないので、
この仏陀への関心の高まりという現象は、人類の発達を考察するものにとって、
一そう興味深く思われる。
このことは、18世紀から19世紀にかけて、
私達のヨーロッパにおける精神生活に大きな影響を与えた偉人、
つまリゲーテのことを思い浮かべてみるだけで、十分に理解できるであろう。
ゲーテの生涯や創作活動や彼の知識を検討してみると、
そのいずれにも未だ仏陀、ないしは仏教が、何らの役割をも果たしていないのに気づく。
だがゲーテ以後、わずかの時しか経たない内に、
ある意味ではゲーテの弟子と言ってもよいショペンハウアーにおいて、
すでに非常に大きな仏教の影響が、彼の活動の中に輝き出ているのを目にするのである。
それ以後、この東洋的な精神の方向に関心を持つ人々の数は、次第に増え続けている。
「偉大なる仏陀」の名に結びつく一切が、人類発展史の中へ持ち込んだものと、
自分との関りを考えることは、今日では大多数の人間にとって、
すでに当然のこととなっているのである。

今日、仏教に興味を持っているほとんどの人間が、ある意味において、
この地上の生の回帰の思想、ないしは我々の言葉でいうならば「再受肉」の理念を、
全く仏教に結びついたものとして受けとっていると言っても間違いではないであろう。
これに対して、たとえいかに奇妙に聞こえようとも、次のように言っておくことが必要である。
すなわち、事実の本質の中へもっと深く入り込んでゆく者にとっては、
仏教と地上の生の回帰の思想とのこういう結合は、
あたかも古代の芸術作品に対する最高の理解を、
まさにこの古代芸術作品を中世世界の展開の初期に破壊してしまった、
当の人間達に求めることができると主張するのと、ほとんど同じように見える、ということである。
奇怪千万な言い方かも知れないが、これは事実なのである。
言うまでもなく仏教は、繰り返される地上の生というものの本質を正確に捉えており、
それ故に、これをできるだけ低く評価し、
その回帰する回数をできるだけ少なくすることに目的を設定し、
その達成にあらゆる努力を払ったのである。
これを考えれば、前の言があたっていることは直ちに了解されるであろう。
つまり地上への再生、ないしは地上の生への回帰から解き放されること、
これこそ仏教という精神的態度の精髄であると考えなければならない。


「人智学・神秘主義・仏教」




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