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バツラフ・ハベル氏は、
劇作家出身の自由の闘士であり、
チェコ共和国の民主化に貢献し、大統領に選出されました。

ある本の中に、
彼の、1996年のアメリカのボストンでの演説が載っていました。

その内容に驚き、洗練された思想に感動しましたので、
紹介したいと思います。




新大陸アメリカの発見によって幕を開けた現代は、
やはり1969年にアメリカが月に人を送ったことによって終わったのだ、
と思想家たちは言っております。また、この歴史的な瞬間が、
人類の新時代の第一歩なのだとも言われております。
われわれが歴史の転換期にさしかかっているのだという徴候は数多くあります。
あたかもわれわれが一つの時代の終焉に直面し、何かが粉々に砕け散り、解体し、
実質が骨抜きになりつつあるかのような気が致します。そして残された廃墟から、
誰もはっきりと自覚せぬままに、何か新しいことが立ち現れて来るものと思われます。
このような価値観の基本的な再構築は、過去の歴史にもありました。
中世を誕生させた古代末期にも、近世の扉を開いたルネッサンスにも、
共通点が見出せるでしょう。こうした歴史の転換期の特徴は、
諸文化の交流と、相互影響が著しいことであり、
精神世界が多極化したり類似化したりすることであります。
既存の価値体系がことごとく崩壊する中から、新しい価値体系が胎動しているのです。
政治家は当然のことながら、これほど多様となったわれわれの世界文明が、
生き残る鍵は何か、という問題に頭を悩ませております。
異質なものの平和的共存のために、
受け入れ可能な全体のメカニズムをどのように構築し、
どのような基本原理を設定するべきなのか、と。
こうした問題は20世紀後半になって、植民地支配の終焉と共産主義の凋落という、
二つの重大な流れによって、とりわけ焦眉の急となってまいりました。
戦後数十年の間に築かれた人工的な世界秩序は崩壊したものの、もっと公正な、
新しいシステムはいまだに出現しておりません。ですから、異なる文化、国家、人種、
宗教観を相互に結びつけるような文明を、異質なものの共存のための新しいモデルを、
創造することが、20世紀末の最も重要な政治課題となってきたのです。
逆説的に言えば、過去の失われた霊感を呼び覚ますことができるような可能性は、
今日ではとりわけ科学の中に見出し得るのです。
新しい科学、言わばポストモダンの科学。
ある意味では、自らの限界を乗り越えることを可能にする、
一つの思想に行き着くような科学。
ここで二つ例をあげてみたいと思います。

第一の例は、良く知られている、いわゆる「人間原理」です。
その創始者たちは、宇宙は物質の進化の数ある可能性のうちから、
内部に生命が宿る唯一の可能性を自ら選んだのだ、と指摘しております。
それは必ずしも、宇宙がいつの日かわれわれの目を通じて、
自己の姿を眺めるのだということの保証にはなりません。
しかしそうではないとしたら、ほかにどんな解釈のしようがあるのでしょうか。
われわれが空中を浮遊する物体にたまたま芽生えた、
ちっぽけな苔のようなものでしかあり得ず、
余計な有機体なぞに汚されていない物体が他にいくらでもあるのだと考える限りは、
古典科学にとってこの問題は説明のつかぬものでありました。
だがわれわれもまた宇宙全体と深く結びついているのだと考えるようになって初めて、
科学は自らの能力の限界に達しました。一般法則の探求に基礎をおいた科学では、
特異性や特殊性は処理しきれなくなってしまったのです。宇宙は唯一の事件であり、
唯一の物語であります。そしてわれわれは今のところその唯一の結論なのです。
だが唯一の事件や物語は、詩の特権ではあっても、科学の特権ではありません。
現代科学は人間原理を設けることで、再び公理と物語の、科学と神話の岐路に、
立たされてしまいました。だが逆にそうすることで、科学は人間に近づき、
人間に失われた統一性を、人間と宇宙の新しい関わりを回復させることになったのです。




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