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2009.12.31
天つ神々に同調せよ
日本が世界に誇る大数学者の岡潔先生は、
戦後の日本のあり方を深く憂慮して、警鐘を乱打されたのです。
戦後日本からは、国体そのものであるべき宗教が排除されて今に至ります。
民主党が与党になり、この傾向はますます強まっています。
このままでは、本当に岡潔先生の予言どうりになってしまいます。
今こそ、その警告を真摯に受け止めるべきです。
日本的菩薩道と神の実在を信じる心と、
不生不滅―日本民族の場合は生死も何ぞ関せんとの三つ、
これは日本的菩薩道の一緒に要約することもできるようであるが、
それが万世一系の皇統護持の国民感情になっているのである。
これは敗戦とともにふっと消えたのであるが、よって来るところは久しいであろう。
それをみとめようとしているのである。
明治に入って、西洋文明がどんどん入ってきた。
もちろん自然科学も入ってきた。
自然科学とはどういうものかというと、
「ごく簡単な自然の模型を考えて、それを科学する学問」である。
しかしこうしてわかるものは物質現象、それもごく簡単なものだけに限られている。
生命現象は身辺の知覚、運動さえ少しもわかっていない。
人はこの模型の中で見ているのではない。
まして真善美はこんな模型の中にはない。
真善美は人の心の中にあるのである。
真善美は人の世を遠く離れて秋の空の限りなく深いようなものである。
これが宗教的情操の基礎である。
自然科学ですべてがやがてわかるとしか思えないことを物質主義というのであるが、
このイズムは宗教的情操を消してしまう。
また物質主義は五尺のからだを自分だとしか思えないようにしてしまう。
ほんとうはそのなかに自然を浮かべ、人の世をうかべ、
五尺のからだとその機能としての心理とを浮かべている広々とした心が、
ほんとうの自分なのであって、これを自覚しているのが菩薩なのであるが、
物質主義は個人主義(五尺のからだが自分だとしか思えないこと)を生んで、
人を菩薩から非常に遠いものにしてしまう。
そうすると必然、自分は不生不滅だとはどうしても思えない。
そうなると、明治以前でもそうだったのだが、いっそういちじるしく、
人は人道中の四悪道(地獄)に流至する。
現状のままであると、人類は間もなく自滅する。
その先がけとして、日本が真先に滅びる。
そして日本が滅びたら、人類が滅びるのを防ぎようがない。
本当に認識することが出来るのは情だけであるのに、
情を自分だと思っているのは日本人だけだからである。
そこで、天つ神々は無明退治を本格的に始めた。
日本人はこの天つ神々の企てに同調すべきである。
どうすることが一番大切かというと、
教育で一番大切なことは自我を抑止することを教えることだと知って、
それを出来るだけ早く実行することである。
今は、生まれたら困るような者は日本人として生まれることを天つ神々は許しはしない。
そのため、甚だしく無明で心の濁った者は生まれてこない。
だからこれをあまり濁さないように育てさえすればよいのである。
人がこの点にさえ同調するならば、七十年もすれば日本という水槽の水は入れ替わってしまう。
そして国の心の世界に無明という濁りはほとんどなくなってしまう。
そうなればあとは簡単である。
まず第一に、祭政一致の政治を実現しなければならない。
祭政一致の政治という言葉は古くから日本にあるが、実現されたことはこれまでに一度もない。
だいたい人間に人間が治められるわけがない。
祭政一致の政治とは、天つ神々が人間たちを治める政治である。
これまで政治が非常にうまくいった例が世界に一つだけある。
中国の堯・舜が世である。
中国人がみればこの二つの治世は対等にみえるらしいが、
日本人がみれば舜の治世のほうがよい。
このように舜の世の政治が非常にうまくいったのは、帝舜が天つ神だったから出来たのである。
天つ神が人を治めるということ以外、人の世はどうにも治めようがない。
しかしこれを一代で終わらせないで、
長く続けようとすると祭政一致の政治より仕方がないのである。
この基盤ができたら、次には、これも今まで人類が実現しようとしてできなかった、
文化というものをその上に建設していかなければならない。
文化とは道徳、学問、芸術をいうのであるが、西洋人は学問、芸術を文化といっている。
すなわち道徳抜きの文化である。
そしてそのために人類は滅亡に瀕しているのである。
自粛をし、教育を改め、祭政一致の政治をし、正しい文化を建設することが急務である。
だいたい三百年くらいでできるだろう。
そうなれば、天つ神々の無始曠劫来の悲願が初めて形をとることになるのである。
多分そうなると思うが、一つ間違えば人類の全滅である。
「日本の国という水槽の水の入れ替え方」
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戦後の日本のあり方を深く憂慮して、警鐘を乱打されたのです。
戦後日本からは、国体そのものであるべき宗教が排除されて今に至ります。
民主党が与党になり、この傾向はますます強まっています。
このままでは、本当に岡潔先生の予言どうりになってしまいます。
今こそ、その警告を真摯に受け止めるべきです。
日本的菩薩道と神の実在を信じる心と、
不生不滅―日本民族の場合は生死も何ぞ関せんとの三つ、
これは日本的菩薩道の一緒に要約することもできるようであるが、
それが万世一系の皇統護持の国民感情になっているのである。
これは敗戦とともにふっと消えたのであるが、よって来るところは久しいであろう。
それをみとめようとしているのである。
明治に入って、西洋文明がどんどん入ってきた。
もちろん自然科学も入ってきた。
自然科学とはどういうものかというと、
「ごく簡単な自然の模型を考えて、それを科学する学問」である。
しかしこうしてわかるものは物質現象、それもごく簡単なものだけに限られている。
生命現象は身辺の知覚、運動さえ少しもわかっていない。
人はこの模型の中で見ているのではない。
まして真善美はこんな模型の中にはない。
真善美は人の心の中にあるのである。
真善美は人の世を遠く離れて秋の空の限りなく深いようなものである。
これが宗教的情操の基礎である。
自然科学ですべてがやがてわかるとしか思えないことを物質主義というのであるが、
このイズムは宗教的情操を消してしまう。
また物質主義は五尺のからだを自分だとしか思えないようにしてしまう。
ほんとうはそのなかに自然を浮かべ、人の世をうかべ、
五尺のからだとその機能としての心理とを浮かべている広々とした心が、
ほんとうの自分なのであって、これを自覚しているのが菩薩なのであるが、
物質主義は個人主義(五尺のからだが自分だとしか思えないこと)を生んで、
人を菩薩から非常に遠いものにしてしまう。
そうすると必然、自分は不生不滅だとはどうしても思えない。
そうなると、明治以前でもそうだったのだが、いっそういちじるしく、
人は人道中の四悪道(地獄)に流至する。
現状のままであると、人類は間もなく自滅する。
その先がけとして、日本が真先に滅びる。
そして日本が滅びたら、人類が滅びるのを防ぎようがない。
本当に認識することが出来るのは情だけであるのに、
情を自分だと思っているのは日本人だけだからである。
そこで、天つ神々は無明退治を本格的に始めた。
日本人はこの天つ神々の企てに同調すべきである。
どうすることが一番大切かというと、
教育で一番大切なことは自我を抑止することを教えることだと知って、
それを出来るだけ早く実行することである。
今は、生まれたら困るような者は日本人として生まれることを天つ神々は許しはしない。
そのため、甚だしく無明で心の濁った者は生まれてこない。
だからこれをあまり濁さないように育てさえすればよいのである。
人がこの点にさえ同調するならば、七十年もすれば日本という水槽の水は入れ替わってしまう。
そして国の心の世界に無明という濁りはほとんどなくなってしまう。
そうなればあとは簡単である。
まず第一に、祭政一致の政治を実現しなければならない。
祭政一致の政治という言葉は古くから日本にあるが、実現されたことはこれまでに一度もない。
だいたい人間に人間が治められるわけがない。
祭政一致の政治とは、天つ神々が人間たちを治める政治である。
これまで政治が非常にうまくいった例が世界に一つだけある。
中国の堯・舜が世である。
中国人がみればこの二つの治世は対等にみえるらしいが、
日本人がみれば舜の治世のほうがよい。
このように舜の世の政治が非常にうまくいったのは、帝舜が天つ神だったから出来たのである。
天つ神が人を治めるということ以外、人の世はどうにも治めようがない。
しかしこれを一代で終わらせないで、
長く続けようとすると祭政一致の政治より仕方がないのである。
この基盤ができたら、次には、これも今まで人類が実現しようとしてできなかった、
文化というものをその上に建設していかなければならない。
文化とは道徳、学問、芸術をいうのであるが、西洋人は学問、芸術を文化といっている。
すなわち道徳抜きの文化である。
そしてそのために人類は滅亡に瀕しているのである。
自粛をし、教育を改め、祭政一致の政治をし、正しい文化を建設することが急務である。
だいたい三百年くらいでできるだろう。
そうなれば、天つ神々の無始曠劫来の悲願が初めて形をとることになるのである。
多分そうなると思うが、一つ間違えば人類の全滅である。
「日本の国という水槽の水の入れ替え方」



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