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辞書によれば、幸福は「健康かつ満足感を得ている状態」と定義されている。
だが、個人的には、
「心の中から生まれた価値観を持って生きるときに、
その人の心から自然とわき出る喜びと平和」こそが幸福だと信じている。
このような幸福は、人生において自らの意思でつくり出すことができるものだ。
幸福は、人が意識的に善を行い、悪を避けるようにしたときに得られる。
どのような考えや行動が善であり、あるいは悪なのかということを、
内なる小さな声が優しくささやいてくれる。
人は良心に導かれるまま生きるときに、幸福を見つけることができるのだ。

私たちは「内なる声」を持って生まれる。
内なる声は、正しいことと、間違っていること(善悪)を私たちに教えてくれる。
善い考えを持っているとき、私たちは認められていると感じるが、
悪い考えを持っているときは、居心地が悪く、非難されていると感じる。
つまり、内なる声というのは、「良心」そのものなのである。

私は、人に奉仕すること、
そして私たち皆が調和と平和の中で共存していく方法を学ぶことが大切だと信じている。
皆で善い行いをすれば、大きな幸福を生み出せるのだ。
お互いに悪を行って、双方が幸福になることは不可能だ。
お互いが善良であるとき、それぞれが幸福になれると信じている。

この世の善良な人は、他人を大切にする。
自分の必要なものや、ほしいものにも注意を払うが、他人も大事にするのだ。
彼らは人に仕え、人がより善い存在となる手助けをするのである。
善良な人は、善意と善い行いによって、真の幸せを見つけるのだ。

物質的、あるいは経済的な豊かさの中に真の幸福は見つからないのだ。
幸福とは、自分が善の法則に従って生きているという深い満足感と喜びの中にある。

善良な人は自然に繁栄する。
望めば、金銭的に裕福になることもできるのだ。
善良な人は信頼を生む。
知恵があり、人に仕え、良質なものを提供する人は尊敬される。
だから、善良な人は強い人間関係を築くことができ、
これが大きな商機と利益へとつながっていくのだ。

私にとって与えられた恵みとは、思いがけず与えられた、さまざまな形での贈り物だ。
与えられた恵みに感謝するとき、私たちは自己中心的ではなくなり、
与えられた慈悲深いすべての贈り物を認識する。
そういった恵みの中には、両親、友人、隣人、また見知らぬ人の自己犠牲などが含まれている。
恵みは、さまざまなところから私たちのもとに届く。
人生において私たちが手にしているすべてのものが、
自分の努力によってのみ得られたのではないということを、
謙虚に認識するのは大切なことだ。
多くは、自分以外からの贈り物なのである。
「自分が恵まれている」と認識するだけの謙虚さを持ち合わせていれば、
あなたには幸福がもたらされるだろう。

私たちは他者を助け、人生の恵みである「愛」という贈り物を与えることができる。
私たちは、「希望」という贈り物を与えることができる。
私たちは、「安らぎ」という贈り物を与えることができる。
私たちは、「寛容」という贈り物を与えることができる。
犯してしまった過ちをすぐに許そう。
人にマイナスのイメージを持ったままでいるのは健全ではない。
過ちは忘れ、人が成長し、繁栄するような行いをしよう。


以上のようにお金を超越した富というのは存在する。
実際のところ、もっとも貴重な富は、あなたの心の中にあるのだ。


ロイス・クルーガー「8つの鍵」




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