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2010.01.23 二つに一つ
所詮あらゆる哲学は、
「唯物論」か「プラトニズム」か、このどちらかに大別できます。

そして、真実は、どちらかのうち一つ。

その答えは、自明であります。




レウキッポスとデモクリトスが物質の構造に思いを巡らせたのは、
世界のこの場所、エーゲ海の岸辺であり、
ソクラテスがわれわれの表現様式の基本的問題を論じ、
プラトンがイデアとは現象の背後にある真に根源的な形態であると説いたのは、
いままさに夕陽が落ちていくあの市場でした。
2500年前にこの国で最初に系統だてて論じられた問題は、
以来片時も人の心を捉えて離さず、
新しい発展によって古い思考方法に変化がもたらされるとかならず、
繰り返し議論されてきました。
きょう、もしわたしが物質の構造と自然法則という概念に関して、
古い問題をいくつか取り上げるとするなら、
それは、今日この時代の原子物理学の発展がわれわれの自然観、
物質の構造観を根本的に変革させたからです。
古い問題のいくつかは、
ごく最近、明確で最終的な解答を手にしたと言っても、おそらく誇張ではありません。
したがって、数千年前にこの地で論じられた問題に対して、
そういった新しい、結論的な解答について話すことも許されるでしょう。
しかし、こういった問題を再考する別な理由があります。
大昔にレウキッポスとデモクリトスが発展させた唯物主義的哲学は、 
17世紀における近代科学の出現以来、多くの議論の中心的テーマになってきましたし、
それはまた弁証法的唯物論という形で、
19世紀と20世紀の政治的変化の動因の一つにもなってきました。
もし物質構造に関する哲学的概念が、
人間生活においてそれほどの役割を演ずることができたのだとすれば、
また、もしそういった概念がヨーロッパ社会において爆薬のように機能し、
ヨーロッパ以外の世界でもそのように機能するというのであれば、
今日の科学的知識にてらして、
この哲学がどうなのかを知ることは、いっそう重要なことです。
それをもっと一般的な言葉で表現するなら、
最近の科学の発展を哲学的に分析すれば、われわれがこれまで直面してきた、
基本的な問題についての相反する独断的見解が取り除かれ、
いまやこの地球上の人間生活の革命とみなしうる新しい情況に、
われわれが冷静に順応していけるだろうとわたしは考えています。
しかし、今日この時代への科学の影響という問題を抜きにしても、
古代ギリシアの哲学的議論を実験科学と現代原子物理学の発見と比較するのは、
興味深いことかもしれません。

その比較結果をここで先ばしって述べるのもなんですが、
原子という概念が現代科学においてなしとげた驚くべき成果にもかかわらず、
レウキッポスやデモクリトスよリプラトンのほうが、
物質構造の真理にずっと近づいていたようにわたしには思えます。


ケン・ウィルバー「量子の考案」




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