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唯物論にもとづく機械宇宙論は、過去の遺物となりつつあります。

すべてを偶然に帰するそのような悲愴なものの見方では、
宇宙の意味も目的も見出すことはできません。

いまや人類は、偶然教信仰から離れて、必然を探りはじめているのです。




今日、とくに物理学においては、
ほとんど全員がそう考えているような、幅広い同意がある。
それは、知識の流れが非機械的なリアリティに向かっているということである。
宇宙は大きな機械というより、大きな思考であるように見えはじめているのだ。
心はもはや、物質の領域への偶然の侵入者ではない。
われわれはそれを、むしろ物質領域の創造者、
支配者として歓迎すべきではないかと考えはじめている。
新しい知識に照らしてみれば、われわれは、生命に関心をもっていない、
あるいは生命に対して積極的に敵対する宇宙に、偶然足を踏み入れてしまった、
という性急な第一印象を、いまや改めざるをえない。
心と物質という古い二元論は、
そのような仮想の敵意をもたらした大きな原因だが、もうそれは消えるように思える。
ただしそれは、物質がこれまでより何がしか曖昧に、
何がしか非実在的になったからでも、心が物質の作用に溶け込んだからでもない。
実在する物質が、心の創造と顕現のなかに溶け込んだからである。
われわれにわかってきたことは、
宇宙がデザインの力、あるいは統制の力の証拠を示していることだ。
われわれは、最初に感じたほど宇宙の侵入者でも、宇宙の部外者でもないのだ。


ジェームス・ジーンズ「神秘な宇宙」




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