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宗教新聞に、昨今の日本の宗教学の不毛を嘆いた論説がありました。

愚僧はその内容にまったく賛同いたします。

この問題は、学会が、唯物論を超克できるかにかかっています。
宗教を正当に評価、分析、伝達するためには、
霊的世界への理解がなければまず不可能なのです。




政治や経済の面で、国際社会の中での日本の位置が、
激しく変化しつつあることは、盛んに論じられ、報道されている。
だが文化の面の変化については、まだまだ議論も進んでおらず、
あまり報道もされていない重要な事柄が多い。
宗教に関わる世界の人々の認識の変化はそうした事柄の一つだ。
国際社会を見ると、冷戦終結以後、
とりわけ二十一世紀に入って宗教の重要性への認識が日に日に高まり、
広い分野の人々が宗教について論じる機会が増えている。
例えば、世俗化が進んだとされる西洋諸国の世界的に著名な哲学者、
政治学者、社会学者らが宗教についての論著を刊行して、注目されるようになっている。
ユルゲン・ハーバーマス他『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』、
マルセル・ゴーシェ『民主主義と宗教』、
チャールズ・テイラー『今日の宗教の諸相』等は邦訳が刊行されているが、
ほかにも邦訳が待望される書物が目白押しだ。
日本の市民の宗教への関心も大きく、芸術や娯楽の領域で宗教の人気は高い。
世界的な名声を持つ作家の村上春樹の新作『1Q84』は宗教が素材だし、
死者を送る儀礼を素材とした映画「おくりびと」はアカデミー賞外国語映画賞を取った。
宮崎駿のアニメ作品にはスピリチュアルなテーマがたくさん盛り込まれている。
宗教と関連が深い日本の芸術・娯楽文化は国際的な注目を集めているのだ。
だが日本の宗教界そのもの、
また宗教に関わる学術や知的発信力ということになると、
やや悲観的にならざるを得ない。
第二次世界大戦後の日本は、
宗教に関わる学術の面でも世界的な水準の学術的成果を多量に生み出し、
とりわけアジア宗教の研究においても一級の地位を保ってきた。
イスラーム研究の井筒俊彦や仏教研究の中村元など、
世界的に知られた学者が少なくなかった。
「固有信仰」に強い関心を持った柳田国男のような民俗学者の仕事は、
今でもくみつくせない知的価値を持っている。
今後、日本の知的世界が、宗教に関わってこのような発信力を持ち続けるのは容易ではない。
一つには、哲学、政治学、社会学などの近接分野の学界が、
相変わらず西洋からの輸入学問の傾向が強く、
アジアや日本の文化や思想を踏まえた学術の形成が進まないということがある。
これらの分野で、日本の宗教や思想について論じて、
世界的な意義ある業績を生み出すことができる人がどれだけいるだろうか。
他方、宗教研究、宗教思想研究はといえば、内向きで狭く限定的な論題を取り上げるばかりで、
たこつぼに閉塞していく傾向があり、
専門分化による視野狭窄はむしろ強まっているかもしれない。
宗教にとっては、あれこれと抽象的に論ずるよりも、何よりも現場で生き抜く力が必要であり、
一人一人の切実な思いを尊び共鳴する感受性と行動力こそが必要だ。
その意味では、知的に洗練された議論や高度の学術は、
一義的に重要なものではないという主張はもっともだ。
だが、長期的な底力という点では知的構築力発信力もやはり無視はできない。
民主党政権による事業仕分けは学術予算縮減をもたらし、
特に若手研究者の育成を控える方向が打ち出されようとしている。
宗教研究は人文系の中でも支援を受けにくい領域だが、
この分野の学術の今後の弱体化が大いに懸念される。
宗教をめぐり、市民に深い内容を分かりやすく解き明かす知的柔軟性、
また、国際社会で世界の論者たちと充分に論じ合い、
発信していくたくましい学術力の育成に目を向けたいものだ。

中外日報社説「宗教に関わる分野で知的発信力の育成を」




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