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日本人はどこまで平和ぼけなのでしょうか?

自分の国ぐらい自分で守ろう!




「日本の安全を決めるのは日本自身で、日本の自由だ」、
という米国関係者の声をよく耳にするが、
これに対する日本側の答えは、
決まって「日本の安全は日米同盟基軸の堅持」だ。
これは、自立した国家として、本当に自由な意思なのだろうか?

米国の特殊作戦の一つである心理戦関係者と話をしたおり、
冒頭、「日本が我々と同盟関係を維持するかどうかは日本人が決めることだ。
君たちは自由だ。しかし、それによって、
我々が日本を叩きのめすという決断をするのは我々の自由だ」と切り出した。
心理戦の一端として言ったのかもしれないが、
私には、戦闘者としての士気・戦意を高揚させる言葉であった。
「私は、戦闘者として、自由なる日本のために戦うその日を待ち望んでいる」と答えた。
戦う気概がなければ、真の自由は勝ち取れないのだ。

そもそも、日米同盟はいかなる機能を果たしているのだろうか? 
少なくとも、日米関係は、冷戦終結を契機に明らかに変質している。
大東亜戦争終戦の時点において、アジアにおける米国のパートナーは蒋介石の中国であり、
また、米国は早くから対日戦において毛沢東の中共とも協力関係にあった。
米国が、対日本開戦を意図して構築した『日本・日本人=悪』とする、
極悪非道なる存在としての日本観と日本人像は、
戦前戦中を通じて、米国民だけでなく欧州各国の人々にも普及され定着しており、
終戦時、そのような日本を米国の戦略的パートナーにするなどということは考えられなかった。
したがって、日本の中核たる皇位継承権(皇族の範囲)を限定し、
防衛力、経済力、産業基盤など国力のすべてを削ぎ落とし、
自己保存能力もない集団として、1世紀後には跡形もなくなるような占領政策がとられた。
しかし、ソビエトとの対立が表面化するにいたって、
米国の日本管理の方向性が180度変わった。
その大転換を主張したのが、米国務省のジョージ・ケナンである。
『フォーリン・アフェアーズ』(1947年7月号)に載ったケナンの「X論文」は、
「(対ソ)封じ込め」論として注目を集め、たちまち米国の対ソ戦略へと昇華していった。
そのケナンは、「中国は、遠い将来にも強大な工業国・軍事大国になる見通しはない。 
一方、日本は、極東における唯一潜在的軍事・産業基盤を有し、
勤勉な国民資質と反共思想、そして地理特性などから、
対ソ戦略上のパートナーとして米国が防衛すべき」として、
マッカーサーの日本改革政策を経済復興政策に変更することを促した。
冷戦構造の中で、日本は米国の期待にこたえた。
日本領土内に米軍を展開させることによって、
ソ連軍の戦力を欧州正面と極東正面の東西に分割させ、
また、西側経済システムの重要な一員としての経済成長を遂げた。
このように、米国の対ソ戦略上、日米同盟は軍事・経済面で特別に重要な役割を果たした。
ところが、冷戦終結とともに、この戦略構造が消滅し、米国の戦略転換が訪れた。
ケナンの予想に反して、中国は経済大国・軍事大国へと成長し、
米国のパートナーとしての実力が備わった。
ソビエトと中国の決定的な違いは、ソビエトが米国と対抗的経済システムを構築したのに対し、
中国は米国の経済システムの中に参入してきたことだ。
一方、日本の経済力と在日米軍基地は、世界戦略上の意義を失うことになった。
経済面では、いったんは強力な競争相手とみなされ、政治的関心が持たれたが、
今や日本の経済再成長を期待する者はいなくなり、
せいぜい、日本国民の保有する金融資産を国際市場に引き出して、
利用する程度の価値しか見当たらなくなった。
在日米軍基地は、経費を日本が払ってくれるなど、特権ともいえる便利な仕組みがあるので、
既得権として少しでも居座ったほうが有利だといったところか。
こんな状況では、いくら日本側が経済・金融問題や基地問題で、米側に譲歩したとしても、
日本の戦略的価値を高めるような効果はない。
いくら『日米同盟基軸』を唱えて米国のご機嫌を伺っても、
人間で言えば、いつまでも自立できない大人として、世界中の軽蔑を買うだけだ。

ケナンの「X論文」を掲載し、
米国の戦略転換を促した『フォーリン・アフェアーズ』に最近、次のような記事が掲載された。

「米国は、戦時下の統制を存続させ、
(日本の)対外貿易の政府による高度の管理を許容し、巨大な官僚の権力を肥大化させ、
経済成長を加速させることが重要だと考えた」(W・ラフィーバー、コーネル大学歴史学教授)

「資本主義開発国家モデル、より辛辣にいえば『日本株式会社』、
と称されるようになる政府の行政指導による輸出主導型経済は、
実はアメリカの指令が作り出した落し子だ」
「『冷戦が終わり、そして日本は消滅した』、
というフレーズが今日の状況をより的確に伝えている」
「もはや日本企業が脅威として恐れられているわけでもないし、
日本式マネージメントは嘲笑の対象にされている。
…脅威でなくなった日本が、
こうも退屈で凡庸な存在と化したのはいかにも残念だ」
(N・クリストフ、ニューヨーク・タイムズ東京支局長)

米国から見た、日米関係の現状と将来を暗示する論文である。
日米関係は、一つの歴史的意味合いを終えたことを、よく認識すべきである。

荒谷卓「戦う者たちへ」




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