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日本で多く著著を出されているスマナサーラ長老はスリランカ上座仏教の大長老です。

長老は、「魂」や「神」など大嘘であると言われているので、
おそらく唯物論者だと思われるのです。

テーラワーダ仏教は、初期仏典を厳格に信奉しているいわば仏典原理主義です。

仏教を現代の科学とも合致する理性的な哲学のように説きたいのだけれども、
初期のパーリ仏典にはこのように書かれているために、
珍妙なオカルト説法となってしまうのです(笑)




仏教経典には入っていない仏教文学などには、
「宇宙にはいろんな生命があって、お釈迦様はいろんな星や宇宙の生命にも、
仏教を教えていたのだ」などと言っておりますが、
それが本当かどうか、書いた本人にも私たちにもわかりません。
そういう他の星や宇宙などの世界に我々も生まれ変われるかと考えても、
それも一応可能です。

神々の次元に生まれたらとっても長い時間生きていられますが、
やはり、そこには、身体の状態という問題があります。
彼等は固い物体としての身体を持っていません。
ほとんど精神的なものでできている身体を持っていて、
欧米人はそれを精神的肉体と呼んでいます。
それでも物質的な身体に違いないのですが、
そういう身体は食べ物で支えられているわけではなくて、
心から与えられる刺激で生きているのです。
瞑想など始めたら、それが機能しなくなって死んでしまう。
だから彼らは、瞑想はしません。

預流果の人は、死んでも決して地獄など低次元には生まれません。
一番低次元でも人間界です。
人間に生まれても鋭い頭で生まれます。
例えば、クリシュナムルティさんは、
「おそらくこの人は生まれる前に預流果にはなっていたのだろう。」と思っていました。
私に超能力があるわけではないし、あくまで推測です。

梵天のように生命の次元が高くなると、それに相応しく、たべ物も精妙なものになるのです。
食がそのように精妙なものですから、
光を食べる梵天の寿命は十劫とか二十劫とか、とても長いものになります。
宇宙そのものが何十回も生まれては消えても、
全く関係なく、まだすーっと生きているのです。

仏教では、「心も物質を造っている」と言います。
もし今の物質文明に費やしたほどのエネルギーを、
こころを成長させるために使ったなら、今の文明と同じ程度のものは簡単にできます。
もしある文明の人々が、こころが大事で、物質は大事ではないと考えて、
こころを成長させようと努力したなら、
こころに必要な物質をこころから作ることができるようになり、
それに相応しい文明が生まれます。
物質を使って手で物質を作る文明ではなく、こころで物質を作る文明です。
その時生まれる文明は、今の文明とは違うタイプのものでしょうけど、
昔にもそのような文明はあったと思います。
今は神話としてしか残っていませんが、僅かな記録は残っています。
例えば「ある時期には人々は空を飛んでいた」という記録がありましたら、
現代人は笑って、「それは進化する前の鳥の時でしょう」とか、
「前世の鳥の時でしょう」などと理屈を付けますが、
記録はそうではなく、「人間が空を飛んでいた」と記しているのですから、
それができたとしたら、今のような文明の時期ではなく、
こころの文明の時期であったと考えるしかありません。
その文明では、人間が移動したい場合はこころのエネルギーで空を移動して、
飛行機は要らない、ということです。

物質科学万能の時代は、別に今だけのことではありません。
生命が生まれる時は、いつでも科学万能の時代です。
今はもうお伽話にしか聞こえませんが、
「古代文明がとても優れていたのだ」とか、
「宇宙船まであったのではないか」などという話もあります。
インドの古い伝説の中にも飛行機が出て来たりします。
科学万能の時代は、いつでもあったようです。

本当は八十年や百年で死ぬくらいではなくて、
千年二千年でも生きていられるくらい、人間に生まれるカルマは強いのです。
カルマを正しく使えば、千年二千年でも平気で生きられるのです。
「昔は人の寿命は八万年あった」などと経典にも書いてあります。


「ブッダの実践心理学」




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