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2010.06.22 進化の事実
植物らしきものが地表に現われはじめたのは、今から二十七億年ぐらい前です。
最初は苔類、カビ類からはじまって、次第にシダ類に近いものが発生してきたのです。
こうした新たな植物が発生する前段階として、霊的世界の中で、
新種の植物のイメージが形成されて、その理念型、目的意識が、
天下って現実の植物の形状に異変が起きてきたというのが、進化論の真相なのです。
つまり進化論を認めるにあたって、
「適者生存」とか「自然淘汰」の説をそのまま受け入れるのは正しい態度ではなく、
進化の事実が、一つの合目的性を持っていることを正当に認めなければならないのです。
合目的性を持って進化があったということは、とりもなおさず、霊的世界の中に、
進化を裏付ける実質の形成、霊的実相の形成があったと考えるべきなのです。
つまり、シダ類が発生するためには、
霊的世界において、シダが霊生命として既に創造されていたのです。
このことは動物においても同じです。
偶然にある動物がアライグマになったり、キリンになったりはしないのです。
高木の葉を食べるために、適者生存の法則、あるいは自然洵汰の法則が働いて、
背が五メートルもあるキリンが出現したというならば、一体どういう法則が働いて、
アライグマは食べ物を川の水で洗って食するようになったのでしょうか。
土がついたままのくだものを食べたアライグマの一匹が胃けいれんを起こしたので、
他のアライグマの仲間が寄り集まって、今後は必ずなま物を食べる時には、
川の水で洗うということを決議でもしたのでしょうか。
そうではないのです。
やはりそれぞれの動物を創造するに際して、
霊界において新種の霊的生命体の創造がなされているのです。
つまり一群の霊的エネルギー体に一定の魂の性質、傾向というものを刻印したのです。
キリンを創るときには、魂に、背が高くて、気高くて、
おとなしい、といったイメージを刻印するのです。
アライグマを創るときには、
きちょう面で清潔というイメージが霊的性質として与えられているのです。
ライオンを創るときには、力強く、
勇気があって王者の風格があるというイメージを霊の性質として与えてあるのです。
ヘビを創るときには、残忍で、陰湿で、
執念深いという魂の傾向を霊的にイメージしているのです。
キツネを創るときには、軽妙で、ずる賢いというイメージを霊的に刻印しました。
ネコは女性のイメージで創られた家畜です。
つまり、性格的には、陰性で優美です。
イヌはこの反対に、男性のイメージで創られた家畜です。
つまり、陽性で、働きもので、ちょっと荒けずりなところがあります。
こうしてみると、それぞれの動物には、いくつかの魂の傾向があり、
しかも、人間社会を見ると、
それぞれの動物の魂の傾向と似た性格が見つかることに気づきます。
つまり、キリンに似た性格の人、ライオンに似た人、
ヘビに似た人、キツネに似た人、などが居ることに気づきます。
こうした事実の背景には、実は二つの創造と進化の原理が働いているのです。
一つは、神は、魂の性質というものを類型化する意図でもって、
幾種類もの動物を創ったということ。
そして進化した動物とそうでない動物があるように見えるという事実でもって、
魂の傾向にも、高下の序列があるということを示そうとされたのだということ。
もう一つは、様々な魂の傾向のある動物を創ることによって、
人間に反省の機会と万物の霊長であることの自覚を与えられようとしたこと。
つまり、神の意図された魂の進化の類型化の呈示をされるとともに、
魂の教育の場を設定されたのです。
わかりやすく言うならば、それぞれの動物は、
違う魂の傾向を持った動物と共存することにより、
他の動物と自分との比較が容易になり、自分の魂の学習がしやすくなったのです。
また人間は人間で、ライオンを見てはどう猛さとは何かを、
キツネを見ては狡猾さとは何かを、ウサギを見ては臆病さを、
カメを見ては、ノロマであることを、ヘビを見ては陰湿さを、
イヌを見ては忠実さとは何かを、それぞれ勉強する機会を与えられ、
自分自身の心のあり方を反省する機会が与えられているのです。
こうしてみると、動物たちの魂も転生輪廻している以上、
段々にその魂の傾向が変わってゆくことがあるのではないか、
と思いつかれる方もいると思います。
そこで、そのことについて更に話を続けましょう。
人間の転生について語られた書物は多くありますが、
動物も含めての転生について真実を述べた「定説」とでもいうべきものは見当たらないので、
転生の秘密についての、真実を述べたいと思います。
様々な動物が地上に出現するにあたって、
霊的生命体としての種の創造が先立ってあったことは既に述べたとおりです。
そこで多くの人の疑問は、霊として新種が創られたのは納得がいくが、
地上の肉体としてはどうなのかということでしょう。
ある日忽然と地上に肉体としてのキリンやシマウマが降って湧いたように出現したのか。
それとも、既にいた動物の体内に、新たな霊生命が宿って、
その動物が段々に新種の動物に変わっていったのかということです。
この問いに対しては、実は三種類の答えがあるのです。
そしてその三種類とも真実なのです。
まず第一は、人類の起源は、
三億六千万年前に他の惑星から肉体を持ってやってきました。
この時点で、人類の移住のときに、
いくつかの代表的な動物とか植物とかを地球に持ってきたことも事実なのです。
ノアの方舟の伝説の中には、大洪水の際に、
ノアが一つがいの動物を連れて逃げたことが語られていますが、
同じようなことがあったのです。
ですから現在いる動物たちの一部は、
人類が地球に移住してきた時に連れてきた動物の子孫なのです。
第二は、地球自体を新たな生物誕生の揺籃として、
そこで進化の事実があったということを述べておきます。
たとえば、ネズミならネズミとして長年転生を繰り返しているうちに、
そのうちの一部が霊的に進化してきて、
もはやネズミの体内に宿ることによってはこれ以上の進化が望めなくなったとき、
霊界において、こうした一群の魂に対して、
今度はウサギという新種の動物を地上に創るという天命が賦与されることがあるのです。
こうした魂が母ネズミの体内に宿って一群となって地上に出てくると、
ネズミにしてはややおとなしくて、敏捷で、
少し耳の長い新種の肉体が多数地上に出てくるのです。
こうしてウサギになりかかったネズミが一団となって地上に出て、
そのうち共同生活を始めるのです。
やがて、何世代か繰り返すうちに、もはやネズミではなく、
完全なウサギの肉体へと変わってゆきます。
このようにして出現した動物もあります。
第三の場合がまさしく神による創造にあたる場合です。
他の惑星から連れてきた動物は、哺乳類の先祖にあたる高級動物が多かったのですが、
地球で新たに創造された動物としては、両棲類、爬虫類の多くがそうです。
また魚類もそうです。
地球という惑星の環境は、七割が海という水中心の星であるため、
水に関係する多くの生物の誕生が必要とされたのです。
異星から持ってきた哺乳動物を変じて魚にするわけにもいかないので、
新たな生物を創ることになりました。
そこで高級諾神霊の協議の結果、まず海中に魚を一種創って、
それを第二の場合のように霊的に変化させて、
多種類の魚をやがては創り出そうということになりました。
そこでこの時、霊体の物質化現象を行なったのです。
原型になる魚が一種類選ばれ、アジならアジをまず創ったのです。
これは、たとえば幽霊を見たとか、金粉が降ったとか、物品引き寄せで真珠が出たとか、
色々な話がありますが、霊体というのは、一つの生命の波動なのですが、
この波動の振幅数を小さくしていくと、やがてエーテル状となり、
更には、物質化してくるのです。
イエス様が魚やパンを空中から引き出したりした奇蹟が聖書に書かれていますが、
ああしたことも実際に可能なのです。
この霊体の物質化の法則を使って高級神霊たちが例えば、
アジならアジという魚の創造をしました。
また両棲類として典型的なカエルとかイモリのたぐいも物質化現象で創りました。
爬虫類としてはヘビ、トカゲのたぐいを創造しました。
トカゲが転生の過程で巨大化していってワニになったのです。
こうして三種類の方法で地球上に様々な生物が創られたのです。
そして幼い魂たちは、やはり何億年も魂の学習をしてきているのです。
ネズミからウサギヘ、ウサギからネコヘと進化していった魂もあれば、
ライオンからオオカミヘ、オオカミからヒツジヘ、
ヒツジからイヌヘと進化していった魂もあるのです。
それでは動物から人間へ、人間から動物へという転生が果たしてあったのでしょうか。
人間が万物の霊長であることは誰しも認めることでしよう。
そしてある種の家畜たちは、人間と一緒に生活していますが、
彼らにも基本的な感情があるため、人間になりたいと思っている動物は意外と多いのです。
しかしその逆に、動物に生まれ変わりたいという人間はおそらく一人もいないことでしよう。
輪廻転生の目的が、永遠の進化であるならば、動物として最高度に進化した魂は、
もはや人間として生まれ変わる以外には進化の方法がないようにも思われます。
ではサルは人間になるか。
ネコは人間になるのか。
そしてイヌはどうなのか。
真実を語れば人間に生まれ変わる可能性はあるのです。
しかしその可能性は非常に限られており、
イヌの世界で国民栄誉賞をもらうぐらいの確率でしかありません。
「名犬ラッシー」のように人命を救助したような名犬とか、
「忠犬ハチ公」のように、忠節という人間的感情を貫いた犬が、
六次元神界の諸天善神の中の、
稲荷大明神と呼ばれている動物を指導している光の天使の許可を得たとき、
初めて人間に生まれ変わることができるのです。
この時の彼らの喜びようは大変なものです。
しかし残忍性を発揮して犯罪者になってしまい、
一回で人間を失敗してもとの動物にかえされることも多いのです。
逆に人間が動物として生まれることはあるのか。
これも真実を言えばあるといわざるをえません。
あの世の地獄界にも、いわゆる畜生道、動物界というところがあります。
人間として生きていた時、動物のように欲望のままに生きた人間が、
あげくの果てに行く地獄です。
この地獄に堕ちた人間は、その心性に最も近い動物の姿をしています。
人をだまし続けてきた人間はキツネのような姿に。
あるいは嫉妬に身を焦がしてきた人は、ヘビのような姿に。
情欲のままに衝動的に生きてきた人間はたとえばイヌのような姿に、
それぞれ変化してゆくのです。
彼らがこの地獄で反省をして、もう一度天上界に還ってこれたらよいのですが、
五百年、千年と動物界にいるうちに、心がまったくその動物そのものになり切ってしまい、
もはや人間には戻れなくなってしまう人もいます。
こうした人が人間としての悟りを得ることができず、動物としての最低限度の悟りを得た時、
今度地上に生まれたくば、動物として出るしかないのです。
こうした魂は、基本的には人間としての感情を持っているために、
妙に人間のようにテレビを見るネコとか、妙に人間のように抱きついてくるイヌだとか、
算数のできるウマだとかになって出てくるのです。
しかしこうした転生はやはり例外中の例外であり、人間はやはり人間。
動物はやはり動物と割り切って考えておいてもよいでしょう。
一時期人間の魂が二年や三年動物の体内に宿ることがあったにしても、
それは彼らに人間として生まれることがどれだけ幸せかを教えるためであり、
永遠の転生の過程をとらえてみたなら、
やはり魂としては進化しつつあるといってよいのです。
頂点に立つ人間としての自覚を私たちは大切にしていきましょう。


大川隆法「生命と科学」




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