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2010.07.02
宗教の公益性
宗教法人への課税などは、宗教の公益性を無視した暴挙です。
素晴らしい論述がありますので、ここに全文をあげます。
「宗教団体が非課税措置を受けているのは、その活動が公益性をもつためである」、
というのは、現在の税法学や憲法学でも通説と言える考え方である。
つまり、公益性をもつ宗教法人の活動を政策的に保護するために、
国家が非課税措置を講ずると考えるのである。
宗教はいつの時代にも、人々に神仏の存在と教えを伝え、
天国と地獄の違いを説き、人々の魂を救済してきた。
宗教のもつ、こうした霊的な意義こそが宗教の公益性の核心部分だろう。
法律的にも、宗教非課税の理由として、さまざまなレベルの公益性が認められている。
まずは、本来の宗教活動があり、これに伴う公益性が認められている。
教義の流布、儀式行事の開催、信者の教化育成などが当てはまる。
この場合に想定されている公益性とは、
例えば、人々の道徳性を陶冶し、社会の安寧に寄与することなどである。
一方、さまざまな宗教が繁栄することによって、
民主主義の土壌となる価値多元社会・自由社会を形成することも期待されている。
アメリカなどにおいても、「具体的な救貧活動や篤志的活動のみならず、
社会の多元化に寄与する活動も公益活動に含まれる」という考え方が広く認められている。
それ以外にも、比較的理解されやすい公益性として、
学術や芸術の振興、福祉の増進、教育、環境保全など、
一般に公益事業と認められている活動をしている場合が挙げられるだろう。
そもそも、奈良時代の悲田院や施薬院など、日本の社会福祉のはしりは仏教がもとである。
また、庶民の教育施設である寺子屋は中世の寺院内での教育が起源であり、
庶民の高い教育水準を維持することに貢献した。
現代でも、宗教の公益活動は盛んである。
伝統宗教であれ新宗教であれ、多くの団体が、
教育事業や医療事業、美術館運営などの文化事業に参加している。
災害時の救援活動や海外支援に力を入れる団体もある。
最近、宗教学の分野でも、
宗教による社会貢献活動に光をあてる研究が始まっており、その進展が期待されている。
これらの具体的な社会貢献活動は、いわば「目に見える」公益活動であり、
宗教以外の他の団体と重なる部分でもある。
以上が、宗教非課税の根拠として一般に広く認められている公益性の概念である。
国家の側としては、こうした高度な公益活動を尊重しているからこそ、
それらを課税対象外としているのである。
しかし、歴史を顧みるなら、宗教にはさらに高次元の公益性があると言うべきだろう。
それは、国家や世界に対して価値観を提示し、世の中を善導していくという公益性である。
例えば、仏教の祖である釈尊は、当時の国王や大臣たちに対して政治的な指導をしていた。
日本でも、聖徳太子は仏教を中心とした国造りを行った。
それによって、続く奈良時代にわが国は一気に文明先進国となった。
これらは、寛容で先進的な宗教が、政治の上位概念として国家を繁栄させた実例であり、
時代や地域を超えて、こうした事例は多い。
このような歴史的事実に学ぶならば、宗教が政治を指導し、ときには批判しながら、
国家や社会を導いていくという意味での公益性もまた認知されるべきだろう。
もちろん、宗教団体が非課税である根拠は、公益性のみに求められるのではない。
まず、宗教に特有の理由として「信教の自由」が挙げられる。
宗教活動に課税するとなれば、その活動は税務調査・査察の対象となり、
課税当局の日常的な監視下に置かれることになる。
課税権は警察権と並んで、国家の二大強権である。
このような事態は、
公権力が宗教活動に介入することを禁じた憲法上の「信教の自由」の侵害である。
宗教法人法でも、国家が徴税権力で宗教に介入することを戒めている。
また、宗教活動に対する非課税措置は、
課税の対象たる「利益」が存在しないことによる当然の措置であるとする考え方もある。
これは「課税ベース除外説」と呼ばれている。
他にも非課税措置を支持する論拠は多いが、識者がどの説を採るにせよ、
宗教法人に対する非課税措置は合憲であるというのは、学会の定説である。
世界的に見て、宗教に対する租税減免制度の歴史は古い。
その歴史を受けて、国教制度のイギリス、公認宗教制度のドイツ、
政教分離原則のアメリカやフランスにおいても、
現在、何らかのかたちで宗教団体に対する課税除外措置を行っている。
政教関係や租税制度がまったく異なるこうした国々でも、この点は一致しているのだ。
こうした事実からも、宗教に対する租税減免制度は、
高度な公益性を有する宗教を社会全体として尊重し、
それと同時に宗教(聖)への国家(俗)による介入は極小化するべきだという、
人類の智慧の表れだと考えるべきではないか。
宗教非課税の法的根拠として、さまざまな議論がなされているが、
それらも結局、こうした人類の「常識」あるいは「良識」を、
現代的な法律の言葉で再確認しているものだと言えるだろう。
この問題に詳しいある宗教評論家は本誌の取材に対し、
「週刊誌などで宗教課税論が出ていますが、
『非課税の意味するところは何か』という議論が無視されています。
宗教課税は法的にも困難であり、性急に進めるべきではないでしょう」と語った。
本誌6月号でも指摘したが、
宗教法人の宗教活動に対する課税は、文明国としての資質を問われる愚挙である。
財源不足を補う目的や党利党略などにとらわれるあまり普遍的な価値を見失い、
国家としての尊厳を損なうことがないよう切に祈るものである。
「The Liberty 8月号」
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素晴らしい論述がありますので、ここに全文をあげます。
「宗教団体が非課税措置を受けているのは、その活動が公益性をもつためである」、
というのは、現在の税法学や憲法学でも通説と言える考え方である。
つまり、公益性をもつ宗教法人の活動を政策的に保護するために、
国家が非課税措置を講ずると考えるのである。
宗教はいつの時代にも、人々に神仏の存在と教えを伝え、
天国と地獄の違いを説き、人々の魂を救済してきた。
宗教のもつ、こうした霊的な意義こそが宗教の公益性の核心部分だろう。
法律的にも、宗教非課税の理由として、さまざまなレベルの公益性が認められている。
まずは、本来の宗教活動があり、これに伴う公益性が認められている。
教義の流布、儀式行事の開催、信者の教化育成などが当てはまる。
この場合に想定されている公益性とは、
例えば、人々の道徳性を陶冶し、社会の安寧に寄与することなどである。
一方、さまざまな宗教が繁栄することによって、
民主主義の土壌となる価値多元社会・自由社会を形成することも期待されている。
アメリカなどにおいても、「具体的な救貧活動や篤志的活動のみならず、
社会の多元化に寄与する活動も公益活動に含まれる」という考え方が広く認められている。
それ以外にも、比較的理解されやすい公益性として、
学術や芸術の振興、福祉の増進、教育、環境保全など、
一般に公益事業と認められている活動をしている場合が挙げられるだろう。
そもそも、奈良時代の悲田院や施薬院など、日本の社会福祉のはしりは仏教がもとである。
また、庶民の教育施設である寺子屋は中世の寺院内での教育が起源であり、
庶民の高い教育水準を維持することに貢献した。
現代でも、宗教の公益活動は盛んである。
伝統宗教であれ新宗教であれ、多くの団体が、
教育事業や医療事業、美術館運営などの文化事業に参加している。
災害時の救援活動や海外支援に力を入れる団体もある。
最近、宗教学の分野でも、
宗教による社会貢献活動に光をあてる研究が始まっており、その進展が期待されている。
これらの具体的な社会貢献活動は、いわば「目に見える」公益活動であり、
宗教以外の他の団体と重なる部分でもある。
以上が、宗教非課税の根拠として一般に広く認められている公益性の概念である。
国家の側としては、こうした高度な公益活動を尊重しているからこそ、
それらを課税対象外としているのである。
しかし、歴史を顧みるなら、宗教にはさらに高次元の公益性があると言うべきだろう。
それは、国家や世界に対して価値観を提示し、世の中を善導していくという公益性である。
例えば、仏教の祖である釈尊は、当時の国王や大臣たちに対して政治的な指導をしていた。
日本でも、聖徳太子は仏教を中心とした国造りを行った。
それによって、続く奈良時代にわが国は一気に文明先進国となった。
これらは、寛容で先進的な宗教が、政治の上位概念として国家を繁栄させた実例であり、
時代や地域を超えて、こうした事例は多い。
このような歴史的事実に学ぶならば、宗教が政治を指導し、ときには批判しながら、
国家や社会を導いていくという意味での公益性もまた認知されるべきだろう。
もちろん、宗教団体が非課税である根拠は、公益性のみに求められるのではない。
まず、宗教に特有の理由として「信教の自由」が挙げられる。
宗教活動に課税するとなれば、その活動は税務調査・査察の対象となり、
課税当局の日常的な監視下に置かれることになる。
課税権は警察権と並んで、国家の二大強権である。
このような事態は、
公権力が宗教活動に介入することを禁じた憲法上の「信教の自由」の侵害である。
宗教法人法でも、国家が徴税権力で宗教に介入することを戒めている。
また、宗教活動に対する非課税措置は、
課税の対象たる「利益」が存在しないことによる当然の措置であるとする考え方もある。
これは「課税ベース除外説」と呼ばれている。
他にも非課税措置を支持する論拠は多いが、識者がどの説を採るにせよ、
宗教法人に対する非課税措置は合憲であるというのは、学会の定説である。
世界的に見て、宗教に対する租税減免制度の歴史は古い。
その歴史を受けて、国教制度のイギリス、公認宗教制度のドイツ、
政教分離原則のアメリカやフランスにおいても、
現在、何らかのかたちで宗教団体に対する課税除外措置を行っている。
政教関係や租税制度がまったく異なるこうした国々でも、この点は一致しているのだ。
こうした事実からも、宗教に対する租税減免制度は、
高度な公益性を有する宗教を社会全体として尊重し、
それと同時に宗教(聖)への国家(俗)による介入は極小化するべきだという、
人類の智慧の表れだと考えるべきではないか。
宗教非課税の法的根拠として、さまざまな議論がなされているが、
それらも結局、こうした人類の「常識」あるいは「良識」を、
現代的な法律の言葉で再確認しているものだと言えるだろう。
この問題に詳しいある宗教評論家は本誌の取材に対し、
「週刊誌などで宗教課税論が出ていますが、
『非課税の意味するところは何か』という議論が無視されています。
宗教課税は法的にも困難であり、性急に進めるべきではないでしょう」と語った。
本誌6月号でも指摘したが、
宗教法人の宗教活動に対する課税は、文明国としての資質を問われる愚挙である。
財源不足を補う目的や党利党略などにとらわれるあまり普遍的な価値を見失い、
国家としての尊厳を損なうことがないよう切に祈るものである。
「The Liberty 8月号」



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