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2010.09.11
宗教とスピリチュアリティ
最近、よくスピリチュアリティという言葉を耳にしますが、
一体、スピリチュアリティとは何なのでしょうか?
また、それと、宗教との関係はどのようなものなのでしょうか?
スピリチュアリティに対する新しいアプローチを構想する上で重要なことは、
偉大な宗教伝統(キリスト教・ユダヤ教・イスラーム教・
ヒンドゥー教・仏教・シャーマニズム)の叡智を継承するということです。
それは、それらの伝統の最も高貴な、最も意識的な、
最も倫理的な要素を継承するものである必要があるのです。
宗教伝統について詳細に検討すると、あなたは次のことに気づくことになります。
多様な伝統の間には、膨大な数の差異が存在するが、
またそこには、少数の共通事項も存在する―ということです。
世界に存在する宗教のほとんどすべてが同意する少数の合意事項―それは、
きっと人間の本質に関する非常に重要なことに違いありません―少なくとも、
それは、たとえば医療関係者が合意する人間の肉体に関する少数の合意事項と、
同等の重要性をもつものということができるでしょう。
それらの合意事項とはどのようなものなのでしょうか?
神を知ろうとする人類の歴史的な試みの中に、
くりかえしあらわれる特徴があるとすれば、それはどのような重要性をもつのでしょうか?
(また、こうした人類の試みの歴史は、朦朧とした状態に停滞し続ける人類に、
手を差しのべようとする神の試みの歴史でもあります。)
それらの特徴が示峻するのは―少なくとも、私たちが認識している範囲においては―、
この宇宙にスピリチュアルなパターンといえるものが息づいているということです。
そして、そうしたパターンは、人類が、その感情と知性を駆使して、
宇宙の高貴な次元を感得しようとするとき、驚異的な規則性をもって現れるということです。
このことは、人間というものが、
スピリチュアルな現実を感得することができるように造られていることを意味するはずです。
つまり、人間という生物そのものが、そうした深層的なスピリチュアルなパターンを、
感得することができるように創造されているということです。
碓かに、各宗教は、独自の形態でそうした人類の構造を表現しますので、
そこには差異が存在するのも事実です。
しかし、そうした表面的な差異の背後に存在する深層的なパターンを認識することは、
統合的なスピリチュアリティというものを垣間見ることにほかならないのです。
このことは、適切な実践にとりくむことを通して、
人間がそうした宇宙のパターンを感得できる可能性を内包しているということを意味します。
こうした感得能力は、どの偉大な宗教の実践を通しても開発することのできるものです。
それはある一つの宗教が独占するものではないのです。
私たちは、キリスト教徒でありながら、仏教徒でありながら、
あるいは、ニュー・エイジ思想を信奉しながら、シャーマニズムの実践者でありながら、
統合的なスピリチュアリティを感得することができるのです。
それは、あなたが既に実践しているとりくみに付けくわえられるべきものです。
そのときに、ただ一つ否定されるべきものがあるとすれば、
それは自らの道が神聖なるものに至るための唯一の正しい道であるという信念だけです。
それでは、ほとんどの偉大な宗教的伝統を特徴づける、
共通事項(スビリチュアリティの普遍的な傾向)とはどのようなものでしょうか?
大多数の伝統は次のことについて合意をしています。
1.スピリット―それは多様な名称で呼ばれています―は、存在する。
それは善であり、真であり、美であり、そして、愛である。
2.スピリットは外部に存在するものであり、また、内部に存在するものである。
つまり、それは、開かれた感情と知性に内的に開示されるものである。
3.ほとんどの人々は、内なるスピリットに気づいていない。
というのも、私たちは「離別」と「罪」と「二元性」の世界に生きているからである。
つまり、私たちは、幻影の、失墜した、断片化された状態に生きているのである。
4.こうした離別状態(幻影・罪・不調和にとらわれた状態)を脱出する方法が存在する。
解放に至る道が存在するのである。
5.そうした道を歩むとき、最終的には、私たちは覚醒と再生と救済と悟りに至ることができる。
それは、スピリットとの究極的な融合であり、究極的な救済である。
6.この究極的な解放は、幻影と罪と苦悩の滅却と超越を意味する。
そして、宇宙のあらゆる生きとし生けるものに対する、
慈愛と勇気と奉仕と行動と慈悲と共感、として表現されることになる。
ケン・ウィルバー「インテグラル・ライフ」
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一体、スピリチュアリティとは何なのでしょうか?
また、それと、宗教との関係はどのようなものなのでしょうか?
スピリチュアリティに対する新しいアプローチを構想する上で重要なことは、
偉大な宗教伝統(キリスト教・ユダヤ教・イスラーム教・
ヒンドゥー教・仏教・シャーマニズム)の叡智を継承するということです。
それは、それらの伝統の最も高貴な、最も意識的な、
最も倫理的な要素を継承するものである必要があるのです。
宗教伝統について詳細に検討すると、あなたは次のことに気づくことになります。
多様な伝統の間には、膨大な数の差異が存在するが、
またそこには、少数の共通事項も存在する―ということです。
世界に存在する宗教のほとんどすべてが同意する少数の合意事項―それは、
きっと人間の本質に関する非常に重要なことに違いありません―少なくとも、
それは、たとえば医療関係者が合意する人間の肉体に関する少数の合意事項と、
同等の重要性をもつものということができるでしょう。
それらの合意事項とはどのようなものなのでしょうか?
神を知ろうとする人類の歴史的な試みの中に、
くりかえしあらわれる特徴があるとすれば、それはどのような重要性をもつのでしょうか?
(また、こうした人類の試みの歴史は、朦朧とした状態に停滞し続ける人類に、
手を差しのべようとする神の試みの歴史でもあります。)
それらの特徴が示峻するのは―少なくとも、私たちが認識している範囲においては―、
この宇宙にスピリチュアルなパターンといえるものが息づいているということです。
そして、そうしたパターンは、人類が、その感情と知性を駆使して、
宇宙の高貴な次元を感得しようとするとき、驚異的な規則性をもって現れるということです。
このことは、人間というものが、
スピリチュアルな現実を感得することができるように造られていることを意味するはずです。
つまり、人間という生物そのものが、そうした深層的なスピリチュアルなパターンを、
感得することができるように創造されているということです。
碓かに、各宗教は、独自の形態でそうした人類の構造を表現しますので、
そこには差異が存在するのも事実です。
しかし、そうした表面的な差異の背後に存在する深層的なパターンを認識することは、
統合的なスピリチュアリティというものを垣間見ることにほかならないのです。
このことは、適切な実践にとりくむことを通して、
人間がそうした宇宙のパターンを感得できる可能性を内包しているということを意味します。
こうした感得能力は、どの偉大な宗教の実践を通しても開発することのできるものです。
それはある一つの宗教が独占するものではないのです。
私たちは、キリスト教徒でありながら、仏教徒でありながら、
あるいは、ニュー・エイジ思想を信奉しながら、シャーマニズムの実践者でありながら、
統合的なスピリチュアリティを感得することができるのです。
それは、あなたが既に実践しているとりくみに付けくわえられるべきものです。
そのときに、ただ一つ否定されるべきものがあるとすれば、
それは自らの道が神聖なるものに至るための唯一の正しい道であるという信念だけです。
それでは、ほとんどの偉大な宗教的伝統を特徴づける、
共通事項(スビリチュアリティの普遍的な傾向)とはどのようなものでしょうか?
大多数の伝統は次のことについて合意をしています。
1.スピリット―それは多様な名称で呼ばれています―は、存在する。
それは善であり、真であり、美であり、そして、愛である。
2.スピリットは外部に存在するものであり、また、内部に存在するものである。
つまり、それは、開かれた感情と知性に内的に開示されるものである。
3.ほとんどの人々は、内なるスピリットに気づいていない。
というのも、私たちは「離別」と「罪」と「二元性」の世界に生きているからである。
つまり、私たちは、幻影の、失墜した、断片化された状態に生きているのである。
4.こうした離別状態(幻影・罪・不調和にとらわれた状態)を脱出する方法が存在する。
解放に至る道が存在するのである。
5.そうした道を歩むとき、最終的には、私たちは覚醒と再生と救済と悟りに至ることができる。
それは、スピリットとの究極的な融合であり、究極的な救済である。
6.この究極的な解放は、幻影と罪と苦悩の滅却と超越を意味する。
そして、宇宙のあらゆる生きとし生けるものに対する、
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ケン・ウィルバー「インテグラル・ライフ」



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