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2010.09.28 唯物論の限界
霊界は非物質の世界です。

この世の物質世界とは、次元が違うとも言えます。

この霊界は、ピラミッド構造になっており、
上の世界にいくほど、霊人口が少なくなっていきます。

このことは、仏教の十界思想でも説かれています。

近代では、神智学などでも説明されています。

物質科学の観点から、霊界を推し量ろうとしても、無理なのです。

哀れな科学者は、この世を包む広大無辺な霊界を、いまだに証明できていません。

まるで、仏教の「群盲象を撫ず」です。




リピカ(記録天使)と言われる霊は、
私達が大ざっぱに「天上界に生きる者」である。
しかし、実際は、彼等は単なる「天上界に生きる者」ではない。
存在のヒエラルキアの高級世界の実在であり、
私達より測り知れないほど高いので、
私達には神々、あるいは集団的に神のように見えるのである。

しかし、独自の能力によって、物事を推理する蟻にとっては、
私達、死すべき人間も神のように見えるであろう。
数週間―それは昆虫の生涯には人生の数年のような長い期間だが―、
数週間の労力の結果である自分の蟻塚が、
全くのいたずらから、一瞬に、ある腕白小僧に破壊されると、
蟻はことによったら、それが人格神の報復の手と思うかもしれない。
激しく心を痛め、その受けるはずのない不幸を天意と罪悪のせいにして、
人間と同様に、それを最初の蟻の原罪の結果だと考えるかもしれない。
誰にそれが分かるだろうか?
誰が断言したり、否定することができるだろう。

全太陽系には、人間レベルの理性と知性の持ち主は、
私達以外にはあり得ないという主張は、この時代の慢心の最大の現れである。
科学が断言できるのは、
私達と同じ条件の下に生きている目に見えぬ知性ある存在はない、ということだけである。
私達の世界の諸状態と全く違う状態の下で、
世界の中に世界がある可能性をきっぱり否定することはできず、
そうした世界のあるものと私達の世界との間の限られた接触の可能性も否定できないであろう。

最高の世界には、純粋に神聖な霊達があると、私達は教えられる。
より低い世界は、たまに人間には見えたり、
聞こえたりすることのあるヒエラルキアに属している。
彼等は実際に、地球上にいるその子孫(人間)と連絡することもある。
人間の各本質の直接の起源は、それらの大実在の性質の中にあり、
彼等は、私達の中の目に見えない要素それぞれを私達に与えるので、
私達と切り離せないように結びついている。

生きものの生理的な働きについて推測し、
私達の精神的及び霊的な感情と感覚が、その無機媒体の機能によるにすぎない、
と証明しようとする無駄な試みを続けるのは、物理科学の勝手である。
だが、その方向で成就できるものは、すでに成就されてしまっており、
科学は、その先には進まないであろう。
科学は乗り越えられない障壁に面し、
そこで偉大な生理学的、心理学的な発見をしているように思っているが、
時がたつと、それはみな科学的な夢想や幻想にかけられた蜘蛛の巣にすぎないことが分かる。
生理学の分析と研究の役に立つのは、私達の客観的な体の組織だけである。


H・P・ブラヴァツキー「シークレット・ドクトリン」




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