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2008.05.08 儒教の宗教性
現代の中国では、再び、孔子がブームになっているそうです。

あの唯物論の国で、そのような需要があるということは、
人間には物質の豊かさだけではなく、心の幸福が必要だということを示しています。

儒教は宗教性が薄く、道徳思想や政治論として語られることが多いのですが、
孔子自身は、祖霊崇拝を肯定しており、天や神について知っている人でありました。
あえて「怪力乱神」は語らず、教育者に徹して、君子としての道を教えました。

それゆえ、孔子の説いた、「仁・義・礼・智・信」の徳目は、
時代を超え、堅実な人生の指針として普遍的でありえています。

孔子の言葉は、近代に通じる合理主義として解釈されがちでありますが、
彼は、はっきりと語っています。




祭るには在すが如くし、神を祭るには神在すが如くす。
子曰く、「吾は祭りに与らざれば祭らざるが如し。」

孔子は、祖霊や神を祭る時には、
祖霊や神が目の前に居るかのように誠意をつくした。
孔子はこういわれた。
「私は、自らが祭らないと、物足りず、祭ったような気がしないのだ。」


子の疾、病なり、子路祈らんと請う。
子曰く、「諸ありや。」
子路答えて曰く、「之あり。誄に曰く、『爾を上下の神祇に祈る』と。」
子曰く、「丘の祈ること久し。」

孔子の病気が重くなったので、弟子の子路は、祈ろうとして許しを願った。
孔子は、「祈る道理はあるのか。」と聞かれました。
子路は答えた。
「あります。古い言葉に、『なんじを天地の神々に祈る』とあります。」
孔子はこういわれた。
「それならば、私は久しく祈りをしているので、今更、改めて祈る必要はない。」


子曰く、「我を知ること莫きかな。」
子貢曰く、「何為れぞ其れ、子を知ること莫きや。」
子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は其れ天か。」

孔子はこう嘆かれた、「この世には私を本当に知る者はいない。」
弟子の子貢は聞いた、「どうして、師のような偉大な方を知る者がいないのでしょうか。」
孔子はこういわれた。
「不運であっても天を恨むことなく、人から用いられずとも人のせいにせず、
皆と同じ立場に下って地道に学問を極めてきた。
私は、自らを高し、としていないから人からは知られていないが、
天のみが、私を知っているのだ。」





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