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2011.06.30
魂の不滅
「死」は、生の一プロセスとしての限りでしか、
リアリティーをもたない。
質料の解体と再生こそが、
形態の維持と変更こそが、
生の恒常的プロセスなのだ。
死とは、単に、形態上の経験そのものの変化と、
変容を求める生のその必然に仕える、
一つの急速な解体のことでしかない。
肉体の死のうちにさえ、
「生」の止滅は存在せず、
ただ生の一形態を支える素材がばらばらになって、
それらが生の別の形態に素材として奉仕しているだけである。
同様に、ある種の心的もしくは霊的エネルギーが、
身体という形をとって存在するのだとしたら、
そのエネルギーもまた、破壊されるのではなく、
ある種の輪廻転生のプロセスや、
肉体への魂の移入のプロセスなどによって、
ある形態を脱け出して、別の形態を採るだけのことであるのは、
「自然」の斉一性の法則から言っても、間違いないだろう。
一切は、自ら自己を更新しているだけなのであって、
消滅するものは一つとしてないのである。
シュリー・オーロビンド「神の生命」
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質料の解体と再生こそが、
形態の維持と変更こそが、
生の恒常的プロセスなのだ。
死とは、単に、形態上の経験そのものの変化と、
変容を求める生のその必然に仕える、
一つの急速な解体のことでしかない。
肉体の死のうちにさえ、
「生」の止滅は存在せず、
ただ生の一形態を支える素材がばらばらになって、
それらが生の別の形態に素材として奉仕しているだけである。
同様に、ある種の心的もしくは霊的エネルギーが、
身体という形をとって存在するのだとしたら、
そのエネルギーもまた、破壊されるのではなく、
ある種の輪廻転生のプロセスや、
肉体への魂の移入のプロセスなどによって、
ある形態を脱け出して、別の形態を採るだけのことであるのは、
「自然」の斉一性の法則から言っても、間違いないだろう。
一切は、自ら自己を更新しているだけなのであって、
消滅するものは一つとしてないのである。
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