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スウェーデンボルグが指導していたといわれる霊能者A・J・デービスは、
150年以上前に、スピリチュアリズムの到来を、

「一方が肉体に、もう一方が高次の領域にいながら、
スピリット同士が交わるという1つの真実がまもなく明らかになるだろう」、

と予言しました。

彼の老死に関する卓見です。




肉眼はその最上のエキス分を霊眼の製造のためにエーテル体に供給していく。
そして、その供給量は年齢と共に増えていくので、
晩年に至って視力が急速に衰えていく。
耳も、数十年の間このエキス分をエーテル体の耳の製造に供給していく。
そして、いわば磨り減っていく機械のように、徐々に聴力を失っていく。
「あの人も耳が遠くなったな」―あなたはそう思って気の毒に思うかも知れない。
が、少しも気の毒がることではない。
内体の聴力がエーテル体ヘ撤退して、次の世界での生活の準備を整えているのである。
頭の働きも同様である。「気の毒に、あの人もボケて来たな」―そう思うかも知れない。
確かにつじつまの合わない話をするようになる。回想力が衰えるからである。
が、これも目や耳の場合と同じく、エーテル体の脳の準備のために、
肉体の脳がそのエキス分をエーテル体に着々と送り続けてきた結果なのである。
そのために肉体の脳細胞は磨り減り、衰弱し、そしてストップする。
崇高なる使命を終えて、大工場が閉鎖したのである。
が、それまで工場を動かし続けてきた動力が消減したのではない。
動力源である霊は生き生きとしているのである。
うわべの肉体は確かに衰えた。言うことがおかしい。手がふるえる。
「エネルギーが切れたのだろう」―そうおっしゃる方がいるかも知れない。
が、そうではない。肉体は全盛をきわめた時点から、
骨、筋肉、神経、繊維等、要するに肉体を構成するあらゆる要素が、
そのエキス分をエーテル体に供給して、地上よりはるかに清らかで美しい次の世界、
すなわち幽界で使用する身体を着々と用意してきたのである。
内臓についても同じことが言える。ある一定の成熟度に達すると、
内臓の諸器官、すなわち肺、胃、肝、腎、膵等は、
これらと密接につながった細かい器官と共に徐々にその機能を低下させていく。
やがて弱さが目立つようになり、病気がちになり、耄碌しはじめ、
そして老衰する。これをただの老化現象だと決め込んでは見当違いである。
というのは、表面的には確かに老化していくだけのように見えても、
その内実は、各器官がその最高のエキス分を死後の生活に備えて、
着々とエーテル体の形成に送り込んでいるのである。
肉体的には確かに老衰した。話をしても、まともな返事が返ってこない。
が、それは脳味噌がそのエキス分をエーテル体に取られたからである。
何たる不思議な変化であろうか。
人間の老化と死は昆虫の羽化とまさしくそっくりである。
いや、昆虫にかぎらない。
植物の世界でも―地衣類のコケにさえ―この束縛から自由への決定的瞬問、
危険に満ちた運命の一瞬が必ず訪れる。
小麦がようやく地上に顔を出す直前をよく観祭するがよい。
種子が裂けて、そこから新しい茎が出てくる時の様子ほど人間の死に似たものはない。
死に瀕した老人は、声をかけても、もはや聞こえない。なぜか。
エーテル界へ生まれ出る瞬間のために音もなくせっせと準備しつつあるからである。
目も見えない。いかに上等のメガネをあてがってくれても、
もはや肝心の機能そのものが働きをやめているのであるから、どうしようもない。
これを悲しんではいけない。大自然の摂理はすべてが有難く出来あがっている。
これから始まる第二の人生のために着々とエーテル体を整備しつつあるのである。
やがて老躯は一切の食事を受けつけなくなる。
工場が完全にストップしたのである。炉の残り火がやっとくすぶっているだけである。
工場全体に静寂が訪れる。すべての仕事が終わった。
が、その長きにわたる仕事の産物がいま、
いま工場から運び出された、それが霊である。
あとに残した工場は永久に使用されることはない。死が訪れたからである。
が、霊は住み慣れたその生命の灯の消えた肉体から抜け出て、
歓迎のために訪れた霊魂の集まリヘと歩み寄る。
その様子はあなたには見えないであろう。


「The Thinker」




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