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2008.05.21
江戸の霊能僧
カトリック教会においても、エクソシストといわれる祓魔師が存在しますが、
仏教僧にも、死者鎮魂呪術としての称名念仏を行う民間の行者が存在しました。
中でも、浄土宗の僧、祐天は江戸時代を代表する呪術師であり、
時の徳川将軍に信任され、増上寺36世にまで登りつめています。
祐天は、成田山新勝寺の断食堂で21日間参籠修行し、
不動明王に、剣を飲まされる夢を見て、霊能を授かります。
その後は、念仏布教を志し、諸国を歩きながら、
人々に南無阿弥陀仏の六字名号を与えて、
求められるに従って、死者の鎮魂や追善供養を行っています。
また、民衆に信仰心を与えるために、
誰でもわかりやすく念仏を唱える事ができる「じゃんがら念仏踊り」を伝えました。
ちなみに、祐天の公案した寺内の消防防火体制が、
江戸町火消し組織に多大な影響を与えたと言われています。
祐天は、様々な霊験をあらわしましたが、
説教としての唱導文学である「死霊解脱物語聞書」にその様子が詳細に描かれています。
その死後には、常々、祐天のことを、
「現今真の僧侶は祐天ただ1人である」、と称賛していた将軍吉宗によって、
祐天寺建立が許可され、現在、東京目黒の祐天寺は地名にもなっています。
祐天は、
自力行者ではないのに関わらず、
霊能を開発し、念仏の力で死者を成仏させた希有な浄土僧でありました。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
仏教僧にも、死者鎮魂呪術としての称名念仏を行う民間の行者が存在しました。
中でも、浄土宗の僧、祐天は江戸時代を代表する呪術師であり、
時の徳川将軍に信任され、増上寺36世にまで登りつめています。
祐天は、成田山新勝寺の断食堂で21日間参籠修行し、
不動明王に、剣を飲まされる夢を見て、霊能を授かります。
その後は、念仏布教を志し、諸国を歩きながら、
人々に南無阿弥陀仏の六字名号を与えて、
求められるに従って、死者の鎮魂や追善供養を行っています。
また、民衆に信仰心を与えるために、
誰でもわかりやすく念仏を唱える事ができる「じゃんがら念仏踊り」を伝えました。
ちなみに、祐天の公案した寺内の消防防火体制が、
江戸町火消し組織に多大な影響を与えたと言われています。
祐天は、様々な霊験をあらわしましたが、
説教としての唱導文学である「死霊解脱物語聞書」にその様子が詳細に描かれています。
その死後には、常々、祐天のことを、
「現今真の僧侶は祐天ただ1人である」、と称賛していた将軍吉宗によって、
祐天寺建立が許可され、現在、東京目黒の祐天寺は地名にもなっています。
祐天は、
自力行者ではないのに関わらず、
霊能を開発し、念仏の力で死者を成仏させた希有な浄土僧でありました。



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