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明治生まれの三浦関造氏は、
青山学院神学部に学び、卒業後は、ルソーの「エミール」を翻訳します。
これが、多くの読者を得て、当時の大正リベラリズム教育の柱となりました。
その後は、タゴール、ドストエフスキー、トルストイなどの翻訳、多数の自著の出版、
全国講演をするなど教育啓蒙活動に従事しました。
昭和に入ると、神智学やオカルティズムを講じ、海外向けに英文著作も出版しています。
戦後には、綜合ヨガ団体である竜王会を設立し、その神秘思想の普及に努めました。

彼の主張は、ニューエイジ的であり、現代人にこそ傾聴されるべきものです。




残念なことには、日本は明治以来、国家主義、官僚主義でおし通して来た為、
幕末に当って現れた三浦梅園のような、神秘直感の大人材を尊重する認識力を喪失し、
西洋物質主義の真似ばかりして、
人類至尊の宝を東洋の古代聖典にさがし出すことを忘れてしまった。
仏教学者は出て来たが、聖典が教える源泉に体験を進めて、
密教科学の本領を説く人は一人も出て来なかった。


「天国は一粒の芥子種の如し」とイエスはいった。
真我は一粒の芥子種のようなものである。
この一粒が、智慧の宇宙大なる光となる。
「一粒の智慧といえども、大いなる危険より汝を救う」と、
前生のキリストであるクリシュナは教えた。
その一粒を持つ人間の神秘をしみじみ味わって見よう。
不安も恐れも、貧因も疾病も、一粒の智慧が、
胸のまん中なる真我から輝き出ないが為におこる無明の重荷である。
その重荷は、燃ゆる火が薪をば灰となすように、自我の霊火が焼きすててしまう。
それによって、われわれは病に勝ち、世に打ち勝つのである。
世に勝つ者の姿は不動尊の姿、キリストの姿、如来の姿である。


万国の願うところは、世界統一、新文明への大指導家たちが出現することである。
この大破壊到来を先見して、賢明な準備をなすべきことにつき、
イエスは警告的な教訓を与えた。
それは、「燈火を持つ十人の娘」の話に寓してある。寓話のすじはこうである。
十人の娘が燈火をたづさえて、新郎の来る宴会場に待つ。
夜ふけて新郎がついた時、五人の賢い娘は油壷を持っていたが、
五人の愚かな娘は油壷を持たず、燈火はまさに消え失せんとしていた。
油壷を持つ五人は、饗宴に招き入れられる光栄に接したが、
油壷を持たぬ五人は、あわてて油を買いに出かけた。
その間に門は閉じられ、戻って来た五人は、外の暗きに泣き悲しみ、
「我等のために門を開き給え」と呼べば、「我は汝等を知らず」と主が答える。
新郎とは、世界大破壊後の大指導者である。
燈火とは真理のこと、油壼とは目ざめた魂のことである。
油壷を持つ五人の娘は、魂に目ざめて真理に立つ人類の半数を示し、
油壷を持たぬ五人は、真理にはひきつけられていたが、まだ霊性の目ざめに会わず、
愚痴をこぼしていた痴鈍な人類の半数を示す。
後者は地上大破顔の闇の中に亡びなくてはならぬ者を表象する。
われ等は今や、蚕が殻を脱ぐように、旧い心の殻を脱皮しなければならぬ。
旧い物質慾に執着して、霊性の目ざめを無視する者は、
智能に於て低劣な者で、新時代の活動に役立たず、
脱皮出来ずに茫然と立ちすくんだまま腐れ死にする蚕の運命に終らなければならない。

「真理の太陽」




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