仏教は霊を認めないというのは、全くの誤解です。
その様なことを言い出せば、輪廻も、地獄界天上界も成り立ちません。

お釈迦さまは、常見を否定し、
無常、無我を説いたといっても、
死ねば終りという断見、
死んでも生前の肉体感覚がそのまま存続するという常見、におちいることを避け、
その両極端を廃し中道に入りなさいと説かれたにすぎません。

また、我なるものが無いのではなく、我なるものという執着を離れるための無我であり、
この世の物質存在は、全て移り変わるのものであるという意味での無常でした。

後世の仏教学者が、竜樹の空思想の霊的側面を理解せず、
空であるから実体的な霊魂など無い、という説をとなえ、
それが定着してしまいました。

お釈迦様は、霊的存在をはっきりと説かれています。
尚、このvinnanaは、識とも訳され、ある場合には、魂とも訳されます。

アーナンダよ、魂(vinnana)が母胎にはいらなかったとするならば、
はたして名色(名称と肉体の集合体)は、母胎の中で育つでしょうか。
アーナンダよ実にこの名色が魂とともに互いに縁起する限り、
その限りにおいて生まれたり、老いたり、死んだり、没したり、再生したりし、
その限りにおいて名称の路があり、語源の路があり、
説明の路があり、慧の領域があり、この状態を説明するために輪廻が起こるのです。
アーナンダよ、七つの魂の住処があります。
その七つとは何か。
アーナンダよ、種々の身体の、種々の相のある、生きとしいけるものたちがおります。
たとえば、人間、ある諸天、そしてある悪処に堕したものたちです。
これが第一の魂の住処です。


パーリ語原始仏典 長部第15経「大因縁経」

また、このようにも説かれています。

ところで、比丘たちよ、三者の和合によって、受胎が起こります。
ここに、母と父との交合がある、しかし母に月経(受胎可能)がない、
またガンダッパ(霊魂)が現れていない、この場合、けっして受胎は起こりません。
ここに、母と父との交合がある、また、母に月経がある、
しかしガンダッパ(霊魂)が現れていない、この場合、けっして受胎は起こりません。
しかし、比丘たちよ、母と父との交合がある、また母に月経がある、
またガンダッパ(霊魂)が現れている、
このように三者の和合があれば、受胎が起こります。


パーリ語原始仏典 中部第38経「大愛尽教」




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