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2008.06.17 神への信仰
僧侶が神を信じるのは当然のことです。

それに違和感があるのは、
近代の仏教学者の策略が成功しているからでしょう。

日本人は民衆レベルでは、
本来、重層信仰の文化があるので、神も仏も、同じようなものだと思っています。

実際、仏陀意識は、キリストが、「我が父」と呼んだ存在であって、それで正しいのです。

神という言葉は、使い古されていますし、様々な意味にとれます。
人格を持った高級霊を神と呼ぶ場合もあれば、
究極的な根本神を指して呼ぶ場合もあります。

しかし、知性を持った人間であるならば、
宇宙には何らかの意思が働いてるという人間原理や、
人間を超えたる神秘としての存在、
人類の魂の親としての存在を認めざるを得ないはずです。

宇宙は偶然に出来上がった、と考える方に無理があります。

しかし、
神は死んだと言われた時代の、
一部の病的な西洋学問の影響を受けた日本のアカデミズム界の人々は、
自分達の宗教である仏教から、何とかして神を排除しようとしました。

西洋の学者は、自分達のキリスト信仰を守るために、仏教を無神論としたのに対し、
日本の学者は、西洋の神を認める非合理な思想と対比して、仏教を合理化しました。

科学や唯物論の方を信仰してしまったとも言えるでしょう。

本来信仰とは、
まず、宇宙は神の思いによって創造されており、
全てが神の意思の現れであることを認めるところから始まります。

保守思想には、神への信仰、人間の善性への信頼があります。
それに対する革新思想は、神の権威を否定した人間中心主義であると言えます。

すなわち、現在の仏教は、
革新勢力によって解体された思想となっているのです。

僧侶は、神への信仰を取り戻すべきなのです。




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