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2008.07.08 仏教の生命観
英国の著名な仏教学者、
モーリス・O・ウォルシュ氏による正鵠を射た仏教解説です。

日本の仏教者のほとんどが間違っているのは、嘆かわしいことです。




仏教はたしかに死後存続に心を労しすぎることを勧めてはいないが、
それはむろん、「肉体をもたない」存在の様々な階層の存在を否定してはいない。
彼らは様々な領域と次元に住んでおり、
その中にはこの世界より高度で幸福なところもあれば、
いわゆる餓鬼のような、もっとみじめなものもある。
それは相対的にはリアルである。
つまり、この世界における私たち自身と同じほどにはリアルだということである。
彼らは皆、例外なく、輪廻または死と誕生の領域に属しており、
彼らが居住している世界のいずれかへの滞在は、それゆえ一時的なものである。
場合によっては、それは人間の基準からすれば、
気が遠くなるほど長期間にわたることがあるとしても。
ここには地上での再生との間の矛盾はない。
なぜなら、人が生まれるその領域は、その人のカルマによって決まるからであり、
人間に生まれるのは、その数多くの可能性の一つでしかないからである。
それゆえ、人間としての再生は、稀なほど望ましいもので、
それは浪費するには惜しいチャンスであると考えられている。
仏典にはまた、人はそのすべての部分において、
完全な「心で作られた体」をもっていると述べられているが、
それはオカルティストが言うところのアストラル体または幽体に相当する。
信頼しうるオカルティストはむろん、
こうした問題に不用意に関与することの危険性をよく自覚していて、
そのことをしばしば強調している。
様々な世界の住民たちは悟った存在ではない。
中にはふつうの人間より疑いもなくずっと賢明で進歩した者もいるが、
そうでない者たちもいて、ときに驚くべき力を行使したりさえするのである。
オカルト的な技能を実践することは仏教僧の世界では行なわれていない。
事実としては禁じられている。稀に東洋では行なわれることがあるが。
西洋の仏教徒は実際そのような問題に自分を関わらせてもいけない。
もしも彼らが、にもかかわらずそうするなら、彼らは少なくとも極度に注意深くして、
高い道徳意識をもつ責任感のある良心的な専門家にだけ相談すべきだろう。
そのような人たちは見つけるのが困難ではなく、しばしばすぐれた人格者である。
しかし、次のことは肝に銘じておくべきである。
つまり、死者からの純粋なメッセージであっても、
それは誤ったものでありうるということである。
彼らは程度の相違こそあれ、無知だからである。
多くの霊的なメッセージに瑣末なことが多いのはよく知られていて、
かんじんなことについては何も明らかにならないのは、やはりこの理由によるのである。
より高度な世界の存在は、
仏教ではディーヴァ(梵天、帝釈天などの天上の神々を指す)として知られているが、
その多くは力が及ぶかぎり人間を助けようと思っているということはたしかに思われる。
そうしたディーヴァと、大乗の伝統におけるボディサットヴァ(菩薩)との間に、
本質的な相違はないと言ってよいかも知れない。
中には生まれつきの心霊能力者もいるし、瞑想の結果、副産物として、
心霊的な能力を発達させる人もいる。そのような力はまぎれもなく本物である。
しかし、たとえそうしたものが得られても、
それを追い求めたりそれに執着したりすべきではない。
もしもそうしたものが十分な洞察や道徳的な純粋さなしに得られたとすれば、
それは災いになりかねない。魔術のようなものは存在しないというのは、
現代のリベラルなヒューマニストに見られる多くのもう一つの幻想の一つである。
過去における真のまたは疑いをかけられた魔女の残酷な扱いに関する、
正当な憤慨から、私たちは全部が全くの作り話だったと想像すべきではない。
だから私たちは心霊的な次元とのコンタクトを求めるのには、
非常に用心深くあらねばならない。
それはそれらが存在しないからではなく、まさにそれが存在するからである。


「仏教のまなざし」




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