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2008.07.21 輪廻の主体
仏教は無霊魂宗教であるという偏見は根深く残っています。

一度常識となってしまうと、
ダーウィンの進化論のように、それを覆すのは容易ではありません。

しかし、不思議なことに、
原始仏典に書かれてあることのほとんどが、
死後のゆくえ、不可視の非物質的領域について、地獄や天上界の様子、
カルマの法則、無数の霊的存在との対話、輪廻転生のしくみ、奇蹟的現象、
神通力、弟子たちの来世の予言、魔の誘惑、といった内容です。

お釈迦さまの没後、
釈迦教団はいろんな部派に分かれて哲学的議論を繰り広げました。
そんな中で、
「固定的な実体としての魂の存在を認めない」というような論調が強まっていきました。

しかし、その部派仏教においても、
さすがに死後は無になるという断滅論はとれず、
それでは輪廻転生の主体は何であるのか、
ということが大問題となり、いろいろな考えが出されました。

薩婆多部においては、「」が輪廻するとされ、
犢子部は「プトガラ」、化地部は「窮生死蘊」、
経量部は「細意識」でした。

大乗仏教にいたって、
竜樹の中観思想とともに有名な唯識思想においては、
輪廻の主体として「阿頼耶識」というものが主張されました。

このように、誰も、霊的なものを否定したわけではなかったのです。

さらに、当時は、
現代でいうような「霊魂」にあたるような言葉はありませんでしたので、
これらは「霊魂」と考えてもまったく差し障りありません。

現代でも、「霊魂」については様々な形態が考えられているように、
当時においても、輪廻の主体の形態は様々に考えられていたということです。

しかも、仏教の経典や論書に、
明確に輪廻や霊的存在を否定し、
死ねば無になる、と書かれた箇所などどこにもないのです。

また、各仏教教団の宗祖や高僧達はことごとく、輪廻や「霊魂」の存在を説いています。

日本の仏教徒が、
「霊魂」を積極的に否定するようになったのは、
西洋唯物論哲学の影響を受けた、ごく最近の珍現象なのです。




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