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義浄の「南海寄帰内法伝」には、
7世紀インドの仏教式の葬儀のようすが、記録されています。

お釈迦さまは、正しい供養や葬儀の仕方を説いていたのです。

霊魂が無いのであれば、死者を送る必要などありません。


(哀しみを誇示する、喪に服すなど)のことはみな、
中国の儒教の伝統に基づく葬送法なのであって、
インドの仏教本来の教誠・律儀ではなく、されば、
このようなことは仏者としては、当然ながら行わなくとも過ちではないのである。
では、仏者としてなすべき葬送とはどのようなものなのだろうか?
インド仏教本来の葬送法の正則とはどのようなものかといえば、
道理として、その死亡者の為に一房を浄らかにこそ飾るべきなのである。
或いは時に随ってかりに天蓋や幡幔を施し、
読経、念仏をし、つぶさに香や花を設けて、
亡魂を善処(浄土)に託生させようと冀(こいねが)うのである。
このようにしてこそ、儒教でいう孝子・報恩の定義はいざ知らず、
仏教では始めて孝子と成るのであり、始めて父母の恩に報いることになるのである。

仏の教えに依るならば、葬送の儀礼は、
まず第一に死亡者が必ず死んでいるや否やを観て知る、にはじまる。
葬儀の当日は死体をかついで焼処に向かい、ついで火で之れを焚く。
之の死体を焼く時に当たっては親友がみな集まって、傍らの一辺に座る。
その座処はと言えば、或いは草を結んで台座となし、
或いは土をあつめて台座となし、
或いは焼いた煉瓦の甎石を置いて座物に当てるなどしているのである。
その次に、一人の能者に『無常(三啓)経』を読誦させる。
この経は小さいもので、半紙か一紙程度、中国のように読誦が長時間に及び、
参列者を疲れさせるようなことはない。

火葬の後には、或いは設利羅(せつりら、骨)を収めて、
死亡人の為に塔を作ることもある。
これは倶羅(くら、塚)と名づけられ、形状は小塔のようである。
この小塔の上には輪蓋は無く、しかも塔には、その死亡者による格づけがあり、
凡夫善人から如来までの凡夫・聖人の区別があるのである。
これについては、律蔵の中であまねく論じている。





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