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他の一神教と比較して、
仏教は創造神を認めない教えだという論調がまかり通っています。

そもそも、
一神教と言われるキリスト教、ユダヤ教、イスラム教で言う「神」とは、
それぞれ、どのような存在を指しているでしょうか?

それぞれの「神」が違う存在であるのであれば、
唯一神のはずなのに、三体も「神」が存在するのでしょうか?

同じなのであれば、別の宗教である必要が無くなってしまわないでしょうか?

このことを考えるにあたって、
それぞれの開祖は、「神」をどう捉えていたかを知る必要があります。

結論を言えば、それぞれの開祖は、
同じ高級神霊グループからの指導を受けていました。

モーゼが指導を受けたのは、ヤーウェ神が主ですが、
ヤーウェというのは、エンリルという人格神のことです。
モーゼは、以前から中東全域で信仰されていた至高神エルと、
それを取り巻く複数神霊の区別がつかず、エンリル神を唯一神としてしまいました。

キリストは、旧約のヤーウェ神からも、ヘルメス神からも指導を受けていました。
キリスト教から派生したグノーシス主義では、
旧約の神であるヤーウェは怒りの神、裁きの神という性格を持ち、
罰としての災いを下す恐ろしい存在として、これを中間界に位置づけ、
その上に、新約の愛と光の神を最高の領域に置くなどして、この二つの神を分けています。

マホメットに対して、
大天使ガブリエルを通して降ろされたメッセージは、
旧約の預言者たちのものと同じ高級霊団グループからのものでした。
マホメットは、古い宗教から脱皮をはかる宗教革新運動のために、
もともと多神の中の至高神であったアッラーを、唯一神としたのです。

このように、
一神教で言われる唯一神である創造神は、実際は高級神霊であり、
かつて人間として肉体を持ったことのある人格神であるのです。

これは、日本神道の神々についても同じことが言えます。

霊界の真相では、多神の方が正しく、
「神」と呼ばれる高級諸神霊が複数いるということです。

そして、人格を持った存在ではなく、
すべてを包括するより高次で絶対的な神は、根本神として別にあるのです。

それでは、仏教ではどうでしょうか?

お釈迦さまが頻繁に対話をした大梵天や帝釈天は、創造神であり、人格神です。
そういう意味では、これらの存在は、一神教でいう「神」と同等の存在なのです。

しかも、浄土教でいう阿弥陀仏という存在は、
明らかに人格神であり、これは一神教であると言えるのです。

お釈迦さまは、「天上天下唯我独尊」と宣言されたように、
天の神々たちよりも、上位にある存在だったのです。
そして、別名「天人師」とも呼ばれるように神々の師としての立場があったのです。

また、仏教では、
人格神の上位概念として大日如来、毘盧遮那仏が説かれていますし、
そのものを開示することによって、
根本神の存在を示しているのです。

究極の神は、人格神を超えたるものであり、
地上の人間には認識し難いものであったのです。
諸宗教では、人格神どまりの認識だったのですが、
仏教では、人格神を認めて、なおかつそれ以上の概念をも説いていると見るべきなのです。




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