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日本の浄土教はかなり形骸化して、あの世のことを説かなくなって久しいのです。

先ほどの続きです。




親鸞は時代に敏感でした。親鸞そしてその師匠の法然は、
その時代に全く相応しい新しい運動を起こしたということです。
そうであるとするならば、ちょうど大乗仏教のように、その時代に適合して、
もとの精神を甦らせるルネッサンスのようなことこそ必要なのではないでしょうか。
親驚はゴータマ・ブッダとどこか直結しています。
自分自身を見つめていく、そして先祖や両親などとの関わり方、
或いは先祖から子孫に向かう因縁の系列などをあまり言わなかった点。
自業自得のところを見ていったこと、そしてあまり形而上学的なことは扱わなかったこと、
迷信や苦行はあまり認めなかったこと、内省を重んじ心主体に捉え、
自分を磨いて絶対のところにシンプルに関わらせていくことなどです。
そのように親鸞はどこかゴータマ・ブッダという元の精神を日本に於いて、
当時甦らせたと言えるでしょう。そのような意味ではこの現代、
八正道や中道など基本的な精神を甦らせるということが、
親鸞を甦らせるということに相通ずるでしょう。カルト系に最も欠如しているのが、
ブッダの説き勧められた中道、八正道、縁起の法、責任感、慈悲です。
また、親鸞の時代に於いては生まれ変わりや三世因果説、
夢を通しての深い意識からのメッセージということがとても大事でありました。
そして実はこの現代に於いてもそのようなことが言えるのです。
現代に於いて、例えば多くの識者の方たちや文化人の方々は、
親鸞の歎異抄の論法や知性は認め評価するけれども、
親鸞の当時生きたなかでの「後世を祈る」など三世因果や前世、
宿業などの事柄に関しては、
「それは迷信でしかたがなかった、親鸞も時代の子であったから」位で、
処理してしまい片づけられてしまっているようです。
しかしそのようにすると親鸞の最も奥深い面、
親鸞を突き動かしていた大事な面が失われます。
やはり親鸞の根本精神を捉える為には、生まれ変わりとかカルマ、宗教的な救い、
夢によるメッセージのお告げの重大さと真実性、聖徳太子に帰依したこととか、
また一人間としての親鸞の具体的な苦悩やコンプレックス、性格面での弱さなどと、
それにどのようにこの宗教天才が立ち向かっていったかなどを見て行きませんと、
何か表面的で綺麗なところの親鸞だけで終わってしまい兼ねません。

親鸞は真面目な内省の人でした。世間や周囲からの反応にはとても鋭敏でした。
それは良い点でこれからもとても大事になってきます。
しかし一方、自己責めというのがあまりにきつく、弊害もあります。
人は自分で自分を愛し、自分で自分を許してあげることも一方では大事なのです。
正しくその際、許すということです。その意味で今後、
親鸞の流れで親鸞の影響を受けている人やグループ或いは教団は、
親鸞の自分で自分を責めるような自己卑下とか、罪悪視、
それをもう少し改めて行くことが必要だと思われます。
或いは露悪つまり悪をもろに外に出す表現の仕方など、
そのようなこともあまりよろしくない側面だと思われます。
その辺も今後、検討され改められて行く面であり、
あまり見習わない方が良い親鸞の面ではないでしょうか。
或いは宗祖親鸞の持っていたある側面だけ助長していったとも言えます。
むしろ、もっと積極的に還相廻向などや現世を力強く生き改善し、
自分を目一杯生かして行くこと。そして涅槃経から来ている楽しく、
全てが永遠であり生命の世界ゆえ、生かされて生きている喜び、
救われた感謝を懐き、自分を充分役立て、
自分が生きているうちに自分を充分感じられること、
そのような清々しさと力強い自己確信、そのようなものも今後付け加えられて行ったり、
親鸞のその面が強調される必要があります。
さて、親鸞の教えと精神は今後とも、とても有益であり、大切にされて行くでしょうし、
それが必要でありましょう。今後とも役立つ面としては、
人間・人生に対する鋭い洞察とあたたかいまなざし、本物の信仰心と神仏把握、
親鸞の自己省察、自己内省があります。
また親鸞の謙虚さ素直さ、そしてごまかさない、偽善に落ちない、
真摯に生きるひたむきさ、そして他力の純粋さなどです。
心の細やかさ、ほがらかな面もそうです。
作らず飾らない、ありのままの彼の人柄です。
自力の修行が今後復興しますが、
しかし他力の凄い面や他力でしか起こり得ない信仰のすばらしさや効力というのは、
依然として残り、その価値はいささかとも翳りが出ません。
それも親鸞の真骨頂です。また親驚の忍耐力、持続力、一貫性と確信です。
そして親鸞の家庭を愛する精神もそれです。
その他、偉ぶらず、自分を教祖としない、人間を尊重する他との関わり方、
良い方の平等主義、「弟子一人も持たず候」という精神、
そして師匠をちゃんと立てる精神です。
なぜなら生きた人から本当の教えは伝わって行くからです。
親鸞は他の教えや宗教に寛大でした。しかし消極的ではありました。
その辺も今後留意し、学び直す点です。

「親鸞の心」




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