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西田幾多郎は日本人としては唯一人、「哲学学者」ではなく、哲学者でありました。
自らの思索と、理論で、純粋経験や絶対矛盾の自己同一を語りました。
西洋哲学を超越せんとして、東洋的思想をもって合一を計りました。

あまりにも宗教的すぎて、哲学ではない、という批判もあったようです。

その影響は、今でも京都学派といわれ、神秘主義的傾向を残しています。

彼は、また、神を自らの言葉で語れる人でもあったのです。

彼の言葉を見てみましょう。

神とはこの宇宙の根本をいうのである。
宇宙は神の所作物ではなく、神の表現である。外は日月星辰の運行より、
内は人心の機敏に至るまで悉く神の表現でないものはない。
我々はこれらの物の根底において一々神の霊光を拝することができるのである。

凡ての人が各自神より与えられた使命をもって生まれてきたというように、
我々の個人性は神性の分化せる者である、各自の発展は即ち神の発展を
完成するのである。この意味において我々の個人性は永久の生命を有し、
永遠の発展を成すということができるのである(ロイスの霊魂不滅論を看よ)。

学問も道徳も皆仏陀の光明であり、宗教というものはこの作用の極致である。
学問や道徳は個々の差別的現象の上にこの他力の光明に浴するのであるが、
宗教は宇宙全体の上において絶対無限の仏陀その者に接するのである。
インドのヴェーダ教や新プラトー学派や仏教の聖道門はこれを知るといい、
キリスト教や浄土宗はこれを愛すといいまたはこれに依るという。
各自その特色はないではないが、その本質においては同一である。


「善の研究」

西田幾多郎の過去世は、「万学の祖」といわれる哲学者アリストテレスであり、
その後は、禅の公案集「無門関」を記した無門慧開として生まれました。




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