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2008.08.22 仏陀とイエス
何かと比較される仏陀とイエスの教えですが、
最近では、違いを強調するよりも、むしろ共通点を探ろうという動きの方が活発です。

一方が完全に正しくて、他方は完全に誤りである、ということはありません。

違いを認め、理解し合うことが、これからの時代には必要なのです。

卓越した秘教の研究家ポール・ブラントンは、こう分析しています。


仏陀は、どのような罪も、有料の儀式を執り行ったり、犠牲を供えたり、
あるいは魔術を施されることによって償われることができるということを信じるよう、
腐敗堕落した司祭たちが民衆に巧みに説きつけている国に自分がいることに気づいた。
彼は、そのようにして罪が許されるということを否定し、
カルマの法則が厳格に支配しており、
目に見えない正義の厳然たる存在を揺るがすことはできない、
ということを確言することによって、自国の民衆の道徳的レベルを引き上げようとした。
イエスは、それとは対照的に、宗教が無慈悲にも「目には目を、歯には歯を」と、
公然と言い触らしている国に自分がいることに気づいた。
彼もまた民衆の道徳的レベルを引き上げようとした。
が、仏陀のそれに優るとも劣らないイエスの知恵は、イエスに、
罪の許しと神の慈悲を強調することによって状況に対処させるようにした。
「応報の法則はあらゆる人に然るべき報いを与え、
いかなる外面的宗教的儀式も、その働きを変えることはできない」ということが、
多くの仏教的教えの実質的要点である。
「そのとおりです」とイエスは言ったかもしれない。
「が、また、愛の法則もあります。それを喚起するための信仰を持ち、
それに従う意志を持っている人々への神の愛が。」
これら二人の預言者たちは、
もしわれわれが彼らが説教していた集団の違いを考慮すれば、
どちらもそれぞれの集団によって、最も必要とされていた助けを与えた、
という点で正しかったのである。


「新カルマ論」




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