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明治から昭和にかけて活躍した、
大ジャーナリスト、思想家、歴史家の徳富蘇峰氏は、
近代日本を代表する言論人として、多くの人々の支持を得ていましたが、
敗戦によってその評価は一変してしまいました。

彼が、百年後の日本人の為に遺したといわれる、
「頑蘇夢物語」と題された敗戦後の日記の中では、
アメリカの占領政策によって変節する日本人を嘆いています。

宗教心や公的精神の欠如が著しい現在の日本。
戦後60年以上たちますが、未だに戦後は終わっていないのです。




近頃日本人が米国人の手先となって、日本を米国化せんとする事に、
これ日も足らざる有様は、只々不思議に考えらるる。
今日米国人は、如何なる手段を執れば、日本が再び起ちあがって、
米国に復讐が出来ぬようになるかと、それのみを考えている。
その手段として、日本から立ちあがる事の出来ぬように、
あらゆる物的条件を剥奪する事を努めている。
武器はおろか、刀さえも取上げるという始未で。
昔豊太閤が刀狩りをして、大仏を造ったが、
アメリカ人は、刀狩りをして、何を造るつもりか。
兎に角日本国を丸裸にし、日本人を丸裸にすることを考えている。
近頃ラジオなどの伝うる所によれば、日本が他国に手を出すようになったのは、
畢竟、日本に資本が有り余ったからである。
生産するところの物は多くして、消費するところの物は少なく、
その余裕が出来た為めに、それを以て軍国主義の方便に供することとした。
故にこれからは、その心配なきようにせねばならぬ。
それには資本家を解散し、日本人の生活を引上げ、
つまり日本人をして、宵越の銭をつかわずその日暮しになさんとするつもりと察せらるる。
即ち貯蓄とか献金とかという事をなくして、日本国民を挙げて、
フィリピン同様のものたらしめんとするが、米国流の考え方である。
それには最も重宝なる事は、社会主義である。
民主主義というが、民主だけでは、不徹底である。
社会主義まで行かねば、その目的が達せられないという事で、
盛んに社会主義の勃興を煽っているようだ。
恐らくは今後出で来る社会主義は、マッカーサーの御用政党と見て差支あるまい。
聞けば社会主義の学校も出来るということである。
やがては文部省なども、その波に乗って、泳ぐことであろう。
明治二十三年十月、教育勅語の発布以来、それを国民に植え付けたる文部省は、
今後如何なる方便を以て、これを払拭し去らんとするか。
一旦緩急あれば、義勇公に奉ずなどという教育勅語の文句は、 
マッカ―サーにとっては、一大禁物である。
追々は、いわゆる新日本の、新教育宝訓なるものが出来るであろうが、
その眼目はこれを予想するに難くない。
この頃聞けば、米国大統領トルーマンは、
日本国民を戦争に引張り込んだる思想団体を、根こそぎに検挙し、
これを撲減するようにせよと、命令したりというが、
彼等は物的資源を剥奪し去るばかりでなく、
心的資源を剥奪し去る事を、これから目論むであろう。
如何に武器は取り上げ、その日暮しに国民を陥れても、
もしそれが空拳赤手を以ても、尚天皇に奉仕し、国家を熱愛する者があっては、
安心出来ぬから、根本的にいわゆる日本精神を払拭し去る積りであろうが、
日本精神の根本は、日本歴史に在り、日本歴史の目的は、
日本の皇室に在るから、究極の目的は、日本から皇室を取除くか、
取除かざるまでも、日本国民の心から、全然皇室なるものを忘却せしむるか、
いずれにか持って行くであろう。
無条件降伏を謳歌したる人々は、これで国体だけは、取り留めたなどと、
自画自賛していたが、豈計らんや米国では、国体の根本に向って、
直ちに一撃を加えんとしていることは、火を見るよりあきらかである。
その場合に於て、我等の考えはその通りではなかったと、申訳しても既に遅しである。
予は確信を以て断言する。
米国は日本を物的去勢をなすばかりでなく、心的去勢をなさんとするものである。
当るか当らぬか、遠きを待たず、必ずその実見の日が来るであろう。


「頑蘇夢物語」




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