FC2ブログ
ヘルマンス博士とアインシュタイン博士の対話の続きです。


「法則については、どうお考えですか?」と私はたずねた。
「法則とは、同一の状況のもとで同一の作用をする不変のものだ。」
「しかし、あなたは、すべては相対的だと教えました。
それは、絶対的な法則はないという意味ですか?」
「そのとおり、絶対的なものはない。
法則と状況は相対的関係にあり、そういう知識がなくとも変化するものだ。」
「では、神も変化するとでもいうのですか?」
すばやくアインシュタインは切り返した。
「君の言う神とはどういう意味なんだね?」
「やはり自然法則の創造者と考えていいと思うんですが。」
「そう思うのはかまわんが、ことわっておくが、私の神は人格的な神ではないよ。」
私は姿勢を正して言った。
「あなたはいつか、人はそれぞれのイメージに合わせて自分の神をつくり上げている、
と言いました。では、あなたは、どんな神をつくり上げているんですか?」
「自分にとって―」とアインシュタインは言った。
「神は、謎だ。しかし解けない謎ではない。
自然法則を観察すれば、ただただ畏敬の念を抱くばかりだよ。
法則にはその制定者がいるはずだが、どんな姿をしているのだろうか? 
人間を大きくしたようなものでないことは確かだ。」
アインシュタインは悲しげな笑みをうかべてうなずいた。
「昔なら、私はたぶん、火あぶりか絞首刑ものだよ。
それでも友人には恵まれただろう。
いつの時代でもジョルダーノ・ブルーノのような異端者たちの中には、
たいてい深い宗教的センスをもった人がいるものだから。」
私はつけ加えた。
「『火あぶりを宣告するお前たちの方が、される私よりずっと恐いのだ』と言ったのが、
そのジョルダーノ・ブルーノですね。」
アインシュタインは言った。
「ブルーノは、人間のこの世界に対する認識は、
時空のどの位置にいるかによって左右されることを発見した。
教義も科学理論のように栄枯盛衰があるわけだ。」
沈黙が訪れた。
アインシュタインは、自分の冷徹な論理に挑む私の宗教論争を楽しんでいるようだった。
そして私の頭越しに宙を見つめていた。
それから私は、パリに亡命していたとき、どれほど自殺を考えるまで追いつめられたか、
そしてクリスチャンサイエンス派だったある友人が、
霊的存在としての私は不死だと熱心に説いてくれたおかげで、
かろうじて救われたことを語った。アインシュタインは、しばらく黙っていた。
「シュテファン・ツヴァイクが心霊治療について書いていたのを思い出したよ。」
私は、ストレートにたずねた。
「霊的方法で治療してもらっていたと言ったら、信じますか?」
「そいつは証明できないだろう。」と彼は勢いづいた。
「間違いであることがはっきりするだけだ。
もちろん、思考が体に影響することは否定しないがね。」
よろしい、まだ望みはありそうだと私は思った。
「アインシュタイン先生、もし余命いくばくもないと診断された病気が、
精神力によってめざましく回復するのを目の当たりにすれば、
心に回復力があるなら心が物質を支配すると思いませんか?」
「心が、力(パワー)を導くのを否定したことはないよ。」と彼は答えた。
「いかなる方法によっても、信ずればそれだけの結果が生まれる。
自分の能力を信じなかったら人間は無力だ。」
「信念は山をも動かすのです。」と私。
アインシュタインは無言のままだった。
「聖書の詩篇二三章九一節を同時刻に読んでもらうことによって、
ガン患者の婦人を治療したことがあります。パリでは、
ロシアのオペラ歌手シャリアピンの腹痛を『ボリス・ゴドノフ』開演前に治してあげました。
しかし、私が治療したなどと不遜なことは申しません。治したのは霊なのです。
むろん、相手の信じる心と私の瞑想が協調して、よい作用をもたらしたからなのです。」
アインシュタインは天井を見上げて言った。
「病気の時には母がお祈りをしてくれたもんだ。でも蓼食う虫も好きずきだな。
大自然の奇跡には興味はあるが、人間の奇跡には興味はないね。」
間をおいて彼は言った。
「もし創造のハーモニーを無条件に信じていなかったら、
それを30年もかけて数学公式で表そうなどとはしなかっただろう。
人間を万物の霊長に位置づけ、自我や、世界と自分との関係が認識できるのは、
自分の行為を意識しているからにほかならない。」
「先生、瞑想についてはどう思われますか?」
彼は一瞬、困惑した様子だった。
「ヨーガ行者がやっているあれですよ。」
「インドヘ行った時、何人か行者を見たが、
その平静さと無我の境地にすごく感動を覚えた。」と言って彼はにっこりした。
「そのせいで、人力車に乗れなかったのを思い出すよ。
自分の体を人に運ばせるなんて、人間に上下関係をつけることのような気がしたんでね。
ウマやロバならともかく、人間では―」
私はメモを引っぱり出した。
「瞑想の修行をつんだ人々と英国で食事を共にした折、
その中の一人の鈴木大拙教授から、ぜひあなたにうかがってほしいと頼まれました。
精神的波動と電気は同一の起源または力(フォース)から発しているのかと。」
「創造の根源的な力はエネルギーであると信じている。
それを友人のベルグソンはエラン・ヴィタール、ヒンドゥー教徒はプラーナと呼んでいる。」
私と鈴木教授が、その場にいないあなたのために特別に料理を用意しましたと言ったら、
彼はくすくす笑ってさえぎった。
「たとえ魂のかたちであっても、その場にいたという記憶はないがね。
鈴木教授のことはたいへん尊敬しているが、
教育者の最高の目標は教え子たちに心を開くことだと思う。
われわれはあまりにも小さく、宇宙はあまりにも広い。
教え子に、人は心の潜在能力の10パーセントぽっちしか使っていないこと、
そしてこの無限の空間の一部であり、
望むならそれを理解することができると気づかせることこそが、
有能な教師の役目なんだ。」


「アインシュタイン神を語る」




クリックして愚僧の活動に御協力ください。
スポンサーサイト



Secret

TrackBackURL
→http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/tb.php/701-1c7ef8f6