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2008.09.16 沙門道
何のために僧侶は出家修行するのでしょうか?

仏典では、
資産家の一人息子であったラッタパーラが、出家修行者としての決意を語っています。




わたしは世間にいる財産もちの人間たちを見る。
富を得ても、所有の幻惑のゆえに、布施しない。
貪欲なかれらは、財産をため込み、さらにいっそう欲望の対象を得ようとする。
王は力ずくで大地を征服し、海に囲まれた全地を住処となしつつも、
海のこちら側にあって満足できず、海の向こう側をも、得ようとするだろう。
王もその他の人間たちも、愛執を離れることができずに、死へおもむく。
なにかが欠けているかのように不満足なまま、虚しく肉体を捨てる。
なぜなら世界においては、欲望の対象に満足は見出せない。
親族たちは髪をふりみだし、かれを泣いて悼む。
「ああ、わたしたちにとって、なんということ!かれが死んだなんて!」という。
かれを衣で覆い、郊外に運び出し、薪を積み上げて、それから遺骸を燃やす。
かれは、地獄で串に刺されたまま、焼かれるだろう、
一枚の衣だけを所有し、あらゆる享楽を捨てて。
死にゆく者にとって、この世の親族・友人・仲間lたちも、業報からの避難所とはならない。
相続人たちはかれの財産をもち去る。生けるものは業のままに去り行く。
どんな財産も死にゆく者について行かない。子供たちも妻も、財産も領土も。
人は財産をもって長い寿命を得ることはできず、
老いを富によって打ち消すこともできない。
「この命はじつに短い。」と賢者たちはいう、「常住ではない。変壊するものである。」と。
富者も貧者も死が近づいて触るのを感じる。愚者も賢者もおなじように死に触れられる。
愚かさゆえに懲罰の杖で打たれた者のように、愚者は死の床に横たわる。
賢者は死が触るのを感じても、恐怖に震えない。
それゆえ、智慧こそが財産よりもすぐれたものである。
智慧により賢者はこの世で解脱に達する。
もろもろの生存において解脱に達していない性質の者たちは、
迷妄のゆえにさまざまな悪い行為をなす。
母胎へ、そして次の世へ転生する、輪廻におちいって、次から次へと。
その者を信じる、智慧の乏しい弟子も、母胎へ、そして次の世へ入る。
家への侵入口で捕まった泥棒が、悪法にある者として、
みずからの行為のせいでぶたれるように、同じように、
生けるものたちは死んで次の世で、悪法にある者として、
みずからの行為のせいでぶたれる。
もろもろの欲望は色とりどりで、甘く、こころよい。
さまざまな色かたちの姿で心をかき乱す。
官能的悦楽に危険を見て、それゆえ、王よ、わたしは出家しました。
樹の果実がみずから熟して落ちるように、
人間は、少年であっても老人であっても、身体が破れた死後、業のままに落ちる。
このことも見て、王よ、わたしは出家しました。
修行者としてのあり方、沙門道だけが、まちがいないものとして、すぐれています。


パーリ原始仏典中部第82経「ラッタパーラ経」




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