FC2ブログ
2008.09.18 神を語る釈尊
以前にも一度書きましたが、とても重要なお経です。

お釈迦さまは、菩提樹下で夜から夜明けにかけて瞑想に入り、
三明(霊能力)を得て悟りを開いた体験を語った後に、
神が存在することを、はっきりと断言しています。

これで、神仏をめぐる問題も、すっきり解決です。

神も仏もいるのです!




「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、けがれなく、やわらかで、
たくみで、確立し不動になったときに、過去の生涯を想いおこすことに心を向けた。
こうしてわたしは種々の過去の生涯を想いおこした。
すなわち、一つの生涯、二つの生涯、五つの生涯、十の生涯、五十の生涯、百の生涯、
千の生涯、十万の生涯を、また多くの宇宙破壊の時期、多くの宇宙成立の時期、
多くの宇宙破壊と成立の時期を想いおこした。
『わたしはそこではこういう名で、こういう姓で、こういう膚の色であり、
こういう食べ物を食べ、こういう苦楽を感受し、こういう寿命であった、
そこで死んであそこに生まれた』と。
わたしはこのように膚の色から寿命という様相とともに、
また名と姓という素姓とともに多くの過去の生涯を想いおこした。
バーラドゥヴァージャよ、これが夜の最初の部分において得られた第一の明知である。
ここに無明が滅び明知が生じたのである。暗闇は消滅して光明が生じたのである。
それはつとめ励み、努力している人に現れるのである。

心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、けがれなく、やわらかで、
たくみで、確立し不動になったときに、多くの人々の死と生を知ることに心を向けた。
すなわち、わたしは清浄で超自然的な天眼によって、
多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、
幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行為に従っているのを見た。
『じつにこれらの人々は身体で悪い行為をし、ことばで悪い行為をし、
心で悪い行為をし、多くの聖者を非難し、よこしまな見解をもち、
よこしまな見解にもとづいて行為をする。
かれらは身体が壊れ死んだ後、悪い所、苦しい所、地獄に生まれる。
また、他のこれらの人々は身体で善い行為をし、ことばで善い行為をし、
心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、
正しい見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。
かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる』と。
わたしは、このように清浄で超自然的な天眼によって、
多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、
幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行為に従っているのを見た。
バーラドゥヴァージャよ、これが夜の中間の部分において得られた第二の明知である。
ここに無明が滅び明知が生じたのである。暗闇は消滅して光明が生じたのである。
それはつとめ励み、努力している人に現れるのである。

心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、けがれなく、やわらかで、
たくみで、確立し不動になったときに、多くのけがれを滅する智に心を向けた。
そこでこれは苦であるとありのままに知った。
これは苦の原因であるとありのままに知った。
これは苦の滅であるとありのままに知った。
これは苦の滅に導く道であるとありのままに知った。
これはけがれであるとありのままに知った。
これはけがれの原因であるとありのままに知った。
これはけがれの滅であるとありのままに知った。
これはけがれの滅に導く道であるとありのままに知った。
わたしがこのように知り、このように見たときに、心は欲望というけがれから解脱し、
心は生存というけがれから解脱し、心は無明というけがれから解脱した。
解脱しおわったときに、解脱したという智慧が生じた。
『苦しみの輪廻は尽きた。清らかな行ないをなしおわった。
なすべきことをなしおわった。再びこのような状態に還ることはない』と知りおわった。
バーラドゥヴァージャよ、これが夜の最後の部分において得られた第三の明知である。
ここに無明が滅び明知が生じたのである。暗闇は消滅して光明が生じたのである。
それはつとめ励み、努力している人に現れるのである。」

このようにいわれて、バーラドゥヴァージャ青年は尊師にこのようにいった。

「ゴータマさんのつとめ励みは堅固不動の人のそれです。
ゴータマさんのつとめ励みは善き人のそれです。
尊敬されるべき人、正しく覚りを開いた人のそれと同じです。
ところでゴータマさん、神はいるのですか?」

「バーラドゥヴァージャよ、道理から『神はいる』とわたしは知る。」

「ゴータマさん、『神はいるのですか』と聞かれたとき、
バーラドゥヴァージャよ、道理から『神はいる』とわたしは知りますというのですか。
ゴータマさん、そのようにいうならば、それは嘘、偽りではありませんか?」

「バーラドゥヴァージャよ、『神はいるのですか』と聞かれたとき、
『神はいる』と答えるであろう。
または、『道理から神はいるとわたしは知る』と答えるであろう。
しかし、この点については智者によって一方的に結論されるべきである。
『神はいる』と。」

「ゴータマさんはわたしに、どうして最初にそれを説明しなかったのですか?」

「バーラドゥヴァージャよ、『神はいる』ということは、
世間では声高に同意されているものだからである。」

このようにいわれたとき、ヴァーラドゥヴァージャ青年は尊師にこのようにいった。

「ゴータマさん、すばらしいことです。すばらしいことです、ゴータマさん。
ゴータマさん、たとえば倒れたものを起こすように、覆われたものを開くように、
方角に迷った者に道を示すように、あるいは、
『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって暗闇のなかで灯火をかかげるように、
ちょうどそのようにゴータマさんは、いろいろな方法で真理を明らかにされました。
ですから、わたしはゴータマ尊師に帰依いたします。
また真理と修行僧の集まりに帰依いたします。
ゴータマ尊師はわたしを在俗信者として受け入れてください。
今日以後、命の続く限り帰依いたします。」           
                 

パーリ原始仏典中部第100経「サンガーラヴァ経」




クリックして愚僧の活動に御協力ください。
スポンサーサイト



Secret

TrackBackURL
→http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/tb.php/713-0402d2d1