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宗教は、超越的実在に対する多様な対応であり、
神は多くの名を持つという宗教多元主義を提唱した、
著名な宗教哲学者ジョン・ヒック氏はこう言っています。


多くのイスラーム諸国では、有識者の間で新しい考え方が始まっていて、
改革への強い要望が拡がりつつあります。
とはいえイスラーム原理主義者は、
もう一方のアメリカのキリスト教原理主義者とともに広く知られるようになり、
その片割れであるアメリカの原理主義者からの影響も受けています。
昨年(2004年)、アメリカのブッシュ大統領に投票した者のほぼ半数は、
「信仰復興」の福音派であり、そのうちの大半(およそ70%)は、
キリスト再臨前に、イスラエル(パレスチナのヨルダン川西岸地区を含む)は、
アラブ人を追放しなければならないと信じています。
彼らはまた別の理由から、ユダヤ教原理主義者からも支持を受けています。
これらのユダヤ教原理主義者たちは、
イスラエル全領土は神からユダヤ人に授かったものであると堅く信じています。
ですから、ここには政治上・経済上の原因にからんだ根深い闘争の源があり、
これがさらに古来の宗教的絶対性によって正当化され、強化されているのです。
私はイランに講演旅行をし、
首都テヘランにあるさまざまな研究機関で宗教間対話に加わりました。
参加者のうちで英語を話せる者はごく少数でしたから、通訳は忙しく働いていました。
どの研究機関を訪ねても、最大級のもてなしと厚い友情を受けました。
また快適であるように可能な限りを尽くしてくれました。
私の3冊の著書と多くの論文がペルシア語に翻訳されていて、
議論に参加してくれたイスラーム研究者たちは、私の宗教多元主義について、
またシャリーア法の定める厳格な罰則に関しての私の批判的な論評を含んで、
イスラームとキリスト教全般にわたる討論を望んでいました。
(イスラーム法の厳格な罰則は、サウジアラビアではまだ守られているようですが、
イランのような国々では法令集には残っていても、
現在ではほとんど実行されていないようです。)
ちなみに私もまた、
イエスの十字架刑はなかったものとする『コーラン』の声明には、同意しませんでした。
しかし議論の大部分は宗教多元主義に関するものであり、
それについては参加者の多くがよく研究していて、哲学的な質問がなされました。
その場には、ムスリムでなければ地獄に落ちる、
と考えるようなイスラーム排他主義者は、一人もいませんでした。
大半がイスラームを最良の宗教であると信じつつも、
他の宗教にもいくばくかの真理はあり、
アッラーの尽きせぬ恵みと憐れみのもとで救いを受けることができる、
と信じてもいましたから、彼らは包括主義者でした。
中には、イランの有識者で影響力の最も大きい人物とされる、
アブドゥルカリーム・ソリューシュ博士を含む、多元主義者も若干ながらいました。
もちろんそういう有識者以外で、私が接触したイスラーム排他主義者もいます。
この状況はキリスト教にも似たところがあります。
キリスト教徒の中にも排他主義者はいます。
例えば、非常に影響力のある原理主義者がアメリカにもたくさんいます。
けれども神学者や教会指導者たちの大半が包括主義者であり、
残る少数派が、しかも増加しつつある少数派が、多元主義者なのです。
イランヘのこの訪間を通して、私は、ムスリムが凶暴で野蛮な原理主義者だという、
一般にはびこる西洋でのイメージを払拭できました。
改革運動はイラン国内だけでなく、他の多くのイスラーム諸国にもあります。
政治的には改革は、何らかの民主化―必ずしも西洋の民主化の模倣ではなく―と、
男女の平等を含む完全な人権の回復を意味します。
宗教的には、それは『コーラン』を聖典としつつも、
諸々の点で道理にかなった解釈は許すという、新たな認識を意味します。

「宗教多元主義の実践と創造」


この宗教多元主義が浸透すれば、無益な宗教間対立は無くなるはずなのです。
多くの宗教の背景には、同じ超越的実在が存在するという認識が大事です。

グローバル時代において、新たな神認識が求められ始めているのです。

この流れのなかでは、
他の宗教との違い(神を立てない宗教)を強調したり、
形而上を捨象しようとする仏教者は、排他主義者・原理主義者となってしまうのです。




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