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2008.09.24 新たなる神話
21世紀に入って、
人類は大きな転換期に直面しています。

還元主義批判、全体性、統一性、創発などがキーワードです。

所詮、ものの見方や常識も時代の制約を受けています。

古い価値観は、いずれそれを包括する新しいものに取り替えられていきます。

科学も思想哲学も宗教もこの変化から逃れることは出来ません。

ニューエイジの新たなる神話が生まれようとしているのです。


詩が直接的な象徴として身近だった時代、
誕生と死が周期的に脈打つような世界は、すでに遠い過去のものとなってしまった。
そのような時代には、霊や神秘的エネルギーが、
われわれの内部にはもちろん、環境のなかにも浸透していた。
また、神について語ることで、神と自分たちの間にクッションをおくことなく、
意識的に真に「偉大なるもの」に触れることができた。
現代は超自然的なものから離別した時代といえる。
天使たちは単なる風聞にすぎなくなり、奇蹟はほとんどすたれてしまった。
人間は短い一生を「霊的なるもの」(光輝く永遠を指す賢人の言葉)のまぎわで、
暮らすという事実に、われわれは目をつぶっている。
現代人が住むこの窓のない部屋は、
敬度なるものや人間を超越する奇怪なるものを締めだしてしまう。

存在の輝きに対して鈍感になったわれわれは、
自分たちを包む波動スペクトルのほんの一部にしか気づいていない。
ところが、潮の干満、植物の幹や茎を上下する樹液、
天文学者によって観測される宇宙からの正体不明の電波など、
人間をとりまく自然はすべて一定のリズムに従って呼吸している。
人間の身体、目、声でさえそれらのリズムを反映しているし、
手首に触れてみるなら、血液の流れに宇宙の脈動を実感することができる。
われわれの身体に残っている健康と美でさえ、
原始時代の力と太陽の光の名残りとみなせないこともない。
都会の通りにひしめく群衆のなかには、
本人も気づかぬままに苦痛や近視に悩まされる多くの顔がある。
古代から遠ざかれば遠ざかるほど人間の身体は衰えていく。
背中は曲がり、目の輝きが消え、愛は生殖器の収縮にすぎない性欲になってしまう。
文明化した現代人を野生の生物、
たとえば曲がりくねって伸びる蔦やクーガの美しさと比べてみたまえ。
いったいいかなる瀆神の儀式ゆえに、われわれは自分自身をゆがめ、
不恰好に太らせ、自らの生命の火を消そうとしているのだろうか! 
われわれはいま、自分たちが栄光から失墜し、
霊妙なる世界の豊かさを知る内なる自己という、
「エデンの園」から追放された日陰者であり、
外部の荒野に追いやられてしまったことに気づいている。
しかし、この世界が混沌と恐怖に満ちているように見えるのは、
ただ単に、われわれの遠近法、
すわち「物を見る角度」が誤って調整されていたからにすぎない。
「見方」を変え、いままで無限に分裂し、
関連性を欠いた事実からなる外の世界に合わせていた照準をずらしてみるだけで、
見かけの混乱の底に横たわる驚くべき秩序が見えてくる。
この秩序はエネルギーの運動のなかにある。
エネルギーについてはっきりしているのは、
それ以外存在するものが何もないということである。
エネルギーのリズムは、われわれの内や外に存在するばかりか、
骨やまゆ毛を構成する原子の振動から、気分の浮き沈みに至るまで、
われわれそのものでもある。
エネルギーは周期的に、あるいは波形をなして動く。
それは決して一箇所に留ることはなく、常にあらゆるところに遍在し、
無限の階層的様式をとって現われる。
思考の過程、神話、象徴などは、まさにエネルギーのさまざまな様式であり、
自然界の結晶体に対応するパターンを示す。
したがって、日常的思考がもたらす混沌を離れて、
神話と現実の双方の世界を構成するエネルギー・パターンを、
再結合を通して意識することが、新しい宗教を発見するうえでの第一歩となる。
われわれは「感情」と「理性」をともにもつ二元的な生きものだが、
宇宙のリズムとの再結合は、
情緒と知性の対立する諸機能を結びつけてくれるだけでなく、
個々の生命をあらゆる存在に通底する全体的な意味の調和に結びつけてくれる。

エネルギーは、振り子のように極限から極限へと移動し、
固有の振動数をもって上下している。
生長とは、単にエネルギーがさまざまな様式を通して上昇することにほかならず、
作用と反作用を永遠にくり返しながら進展する。
まず最初に、「生命力」のほとばしりがあり、その周囲にさまざまな形が形成される。
すると、それに対して「反作用」が起こり、
さらに高度で複雑な結晶体が物質のなかに生みだされる。
満月の夜ごとに節目をつくりながら生長する竹を思い浮かべてもらいたい。
交互にくり返されるこのような重力と無重力、エントロピーと活力、
呼気と吸気の間の脈搏は、銀河の世界と同様、
人間に関しても、容易に見出すことができる。
なぜなら、われわれの神話や「物の見方」も、時間という岸辺に、
周期的なリズムで打ち寄せるからである。
ロマン主義は理性を打ち破るが、時がたつにつれ単なる空想的な迷信となり、
ふたたび事実を重視する風潮により現実に引き戻される。
文化的な変革期にあるいまこそ、人間の「感情的側面」と「理性的側面」を統一する、
新しい神話の織物を発見するときなのである。
中世においては、「感情」すなわち内的体験に文化的焦点があてられていたので、
天使や悪魔も人間と同じくらい現実的であった。
しかし、この傾向が頂点に達し、
日常的事実からなる経験的世界があまりにも無視されたため、その反動が起こった。
やがて、啓蒙主義運動の勃興とともに、
合理主義的な現実解釈が「感情」神話にとってかわった。
それまで中世の神話を支えていた教会の権威が、
テクノロジーの進歩をかかげる神話、すなわち、外的な手段により、
内的苦悩をやわらげるという神話を支持する科学の権威に、その座を譲ることになった。
こうして、客観的事実からなる世界が人間より現実的になった。
だが、いまふたたび、新たな神話による揺り戻しが起こっている。
というのは、新しく噴出しはじめたエネルギーが、科学的啓蒙主義の誕生以来、
あれほど独占的な力を獲得してきた堅牢な思考形態を融かしはじめているからである。
われわれのひとりひとりがその一端を担っている、この新しい神話の織物こそ、
理性と感情という相対立する世界を統合する方法を示すものなのである。


ローレンス・ブレア「超自然学」




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