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2008.09.25 縁起の法則
誤解されている「縁起の法則」でありますが、
これは、自然法則(物質)レベルの相互因果関係のみに適用されるものではありません。

現代科学で言うところの、
素粒子の結びつきによって事象を説明するものではないということです。

仏教は当然宗教なのですから、形而上的領域も含まれています。

お釈迦さまは、こう説かれています。


「アーナンダよ、『識(vinnana)という縁から名色(物質)がある』、
とこのように言いましたが、
それはつぎの理由によって、識という縁から名色があるというように、知られるべきです。
アーナンダよ、識(魂)が母胎に入らなかったとするならば、
はたして名色(肉身)は、母胎の中で育つでしょうか?」

「そのようなことはありません、尊師よ。」

「ではまたアーナンダよ、識(魂)が母胎に入ったあと、外れたとするならば、
はたして名色(肉身)は、五蘊の備わった状態に生まれることになるでしょうか?」

「そのようなことはありません、尊師よ。」

「アーナンダよ、識(魂)が、まだ若い少年、あるいは少女のうちに断たれたとするならば、
はたして名色(肉身)は、成長し、成熟し、老大となるでしょうか?」

「そのようなことはありません、尊師よ。」

「アーナンダよ、それゆえに、この識こそが名色の因であり、
これが因縁であり、これが生起であり、これが縁なのです。
アーナンダよ、『名色という縁から識がある』とこのように言いましたが、
それはつぎの理由によって、名色という縁から識があるというように、知られるべきです。
アーナンダよ、識(魂)が名色(肉身)において根拠を得ることがなかったとするならば、
はたして未来に生・老・死という苦の集まりの発生は知られるのでしょうか?」

「そのようなことはありません、尊師よ。」

「アーナンダよ、それゆえに、この名色こそが識の因であり、
これが因縁であり、これが生起であり、これが縁なのです。
アーナンダよ、実にこの名色(肉身)が識(魂)とともに互いに縁起する限り、
その限りにおいて生まれたり、老いたり、死んだり、没したり、再生したりし、
その限りにおいて名称の路があり、その限りにおいて語源の路があり、
その限りにおいて説明の路があり、その限りにおいて慧の領域があり、
その限りにおいてこの状態を説明するために輪廻が起こるのです。」


パーリ原始仏典長部第15経「大因縁経」




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