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信仰を持てるものには、絶望はありません。

つねに魂の最深部に明かりが灯っているからです。

信仰とは、永遠のいのちを掴み取ることです。

われわれは、選択を迫られています。

希望や向上の道か、絶望や虚無の道かを。

真実は、神やあの世が、実在するかしないかのどちらかしかありえません。

どちらを選ぶ方が、幸福になることができるでしょうか?


ヒューマニズムは私の見るところ、
「ヒューマン」という言葉の詐術にきわめて大きく依存している。
そしておおむね、ありもしない明確な哲学的概念が、
そこに含まれているようにみせることに依存している。
私が反対するのは、ヒューマニストが「人間」を「自然」から区別するときに、
彼が否定するあの「超自然」を利用することである。
というのは、もしこの「超自然」が抑圧されるならば、
たちどころに人間と自然の二元性は崩れてしまう、というのが私の確信だからである。
人間が人間であるのは、彼が超自然的現実を認識することができるからであって、
それを作り出すことができるからではない。
人間の中のすべてが、下から発達してきたものとして跡付けられるか、
あるいは、何ものかが上から来なければならないか、のいずれかなのである。
そのジレンマを避けることはできない。
人は自然主義者か超自然主義者かのどちらかを選ばなければならない。
もし「人間」という言葉から、超自然的なものに対する信仰が人間に与えたものの、
すべてを取り去ってしまうならば、結局は人間を、きわめて賢い、
適応力を持つ、かつ狡い小さな動物と見做すほかはなくなる。

T・S・エリオット「ヒューマニズム再考」




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