FC2ブログ
2008.10.19 碩学は語る
インド哲学の碩学、木村泰賢博士は、宗教の本質をこう語っています。

現代の宗教学者にも、是非、このような包括的な思考をして欲しいものです。


言うまでもなく、成立宗教には種々の種類と程度との相違があるけれども、
これを要求の側からすれば、要するにいずれも絶対的生命を自内証として、
自己に実現せんとする欲求に外ならぬ。
すなわち、無限の持続と自由と光明とを属性とする無限生命と現実的自己とを、
霊の交渉という形で密接不離に結び付けんとするの要求である。
しかして、この求むるの心が、すなわち宗教心又は菩提心と名づけられ、
結び付けられたという自覚は、すなわち悟り、救済又は解脱と称せらるる状態である。
全智全能を属性とするキリスト教の神、無量寿と無量光とを属性とする阿弥陀佛、
久遠実成、常在霊鷲山の釈迦佛―皆もって、
この要求に応ずる絶対的生命の異名に外ならぬ。
もっとも佛教の中には涅槃空寂を理想とする派もあるけれども、
その精神に従えば、その涅槃空寂なるものも、
畢竟するにこの無限生命の異なれる表現に外ならない。
また種々の宗教中には如実に無限にまで到達しかねて、
その理想の極めて局限された範囲に止まるものもあるけれども、
これらは、要するにその要求を徹底せしむる程度の低きが為で、
その内部にはやはり、無限に到るべきの意味を含んでいるものと解すべきである。
かくして一切の宗教はなんらかの形で、無限生命を目標とし、
その実現を期するをその本質とすると言わねばならぬことになる。





クリックして愚僧の活動に御協力ください。
スポンサーサイト



Secret

TrackBackURL
→http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/tb.php/825-c4a3daba