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本来、唯物主義的な考え方は東洋には馴染みません。

東洋的神秘主義、静寂主義といわれるように、ものは幻であると見てきたのです。

また、東洋では、
ものごとを細分化し分析するのではなく、全体的、直感的に把握してきました。

しかし、現代においては、このような態度は非科学的であるとみなされます。

われわれは、
西洋流の物質科学に圧倒され、いつからか東洋人としての魂を忘れています。

仏教というのは、もともと東洋思想です。

不思議なことに、
東洋主義者であるはずの仏教学者の大半が、
唯物主義こそが絶対的真理である、という立場をとっているようです。

そのせいで、現代では仏教の真意が過度に歪められているのです。

ところが西洋では、唯物主義の誤りが修正されつつあり、
東洋思想を正当に評価しはじめている、という逆転現象が始まっています。




仏教思想の一つの基本となっている言葉として、「アニッカ」(無常)がある。
意味は、この形ある物質の世界が、
仮の世、束の間の姿、消滅してゆく万物である事を現している。
事実、釈迦にとって全ての物事は、変化して諸行無常であり、
全てがやがては消滅してゆくものである事の虚しさが苦しみであった。
しかし、悟った釈迦は、全てが現れ消えてゆく変化こそ、
素晴らしい生存の喜びと味わいであると説き、
生も死も、全ての変化無常を喜びと感動で受け取るようになったのであった。
釈迦は、変化し消え去ってゆく物質現象界に執着する事を戒めた。
人や物事に執着すると、やがて消滅して失う時に苦しみになる。
だからこの世の物質現象界の一切の物事に執着する事を止めよ、と説いたのであった。
この事は仏教の悟りの基本的な教えとなっている。 

古い仏教の教典のランカヴァートラ・スートラ(入楞伽経)には興味深い譬えが出ている。
「この世の事柄は、全て砂漠の蜃気楼の如きものなり。夢の如き実体のなきものなり。
或いは、山のこだまの如きものなり。湖水に映った樹木の如きものなり。
眼病を患って錯覚を見ている如きものなり。 
人々は自己の観念や気持ちのフィルターを通して外観を捉えているのだ。」と教えている。

キリスト教では異端・誤りとされて重視されなかったこの様な考え方が、
東洋の古い宗教の中には説かれており、
現代の科学的知識をもってやっと明らかになった様な観念が、
古代、既に理解されていたという事実は驚異的な事である。 
更に驚くべき事は、古代の人々が既にこの様な思想を精神的信条として、
人生観や哲学的思想や宗教的シンボルとして見事にとり入れている事である。
この様な事実は、西洋人から言わせれば、全く驚異的な事という以外にない。
この様な観念を説いた古代の始祖達が正しいとするならば、
この始祖達が説いた教えの他の部分も正しいとは言えないだろうか?
始祖達が、自然の変化の過程、エネルギー、自然の原理や、
私達の観念の錯覚などを正しく説いているならば、彼らが、
テレパシー、透視力、輪廻転生などの事柄を説いた事も正しいのではないだろうか。
これらは現代において、超心理学などでやっと研究が始まった事柄なのである。 
ジャイナ教、ヒンズー教、仏教などの宗教では、悟りを得る為の能力開発として、
テレパシーや透視力が認められてきた。
禅の瞑想やヨガの修行は、これらの能力の開発発展につながると言われている。
そして輪廻転生の思想は、
東洋の宗教では、基本的な世界観や倫理観となっているのである。
これら三つの事柄(テレパシー・透視力・輪廻転生)を学問的に探究する事によって、
心理学や宗教問題の多くの面に、素晴らしい結果をもたらす事になるであろう。


ジナ・サーミナラ「神の理性」



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