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2008.11.06 第二の矢
お釈迦さまは、心と体の関係を説かれています。

心が病むと、体も病んでしまう。
逆に体が傷つくと、心も影響を受けてしまう。

仏教は心の教えです。
心を制御することで、苦しみからの解放を目指すのです。

誰しも、病気や苦悩や悲しみ、
運命の衝撃という「第一の矢」は、避けることはできないけれども、
種々の執着から離れた修行者は、何事にも動じることがないため、
「第二の矢」を受けることはないのです。




あるとき老いた摩訶迦葉が、重い病気になり苦しんでいた。
そこで世尊は彼を見舞い、こう説き慰められた。
「迦葉よ。具合はどうか。
私が正しく説いたところの、念・擇法・精進・喜・軽安・定・捨の七覚支を修習すれば、
證知・等覚・涅槃に役立つのである。」と。
迦葉は、歓喜して七覚支を修習して、病より回復した。


パーリ原始仏典相応部経「病」


ナクラピター居士は、世尊にこう言った。
「世尊よ、私は年を取り老い衰えてあちこち痛み病気がちです。
どうか私を教え導き、長夜に安楽を得させてください。」と。
そこで、世尊は彼に言われた。
「居士よ、汝の身は、老い衰え病んでいる。
いまさら無病は望めまい。
この故に居士よ、かくのごとく修すべし。
私は、体は病気になっても、心まで病気にはなるまい、と。」


パーリ原始仏典相応部経「ナクラピター品」


普通の人々は、病気になったとき苦痛を感受して悩み嘆き悲しみ悶え心も狂乱する。
彼らは、身体の苦しみと、心の苦しみと二重の苦しみを感受して、
あたかも第一の矢で射られたうえに、さらに第二の矢で射られたようなものである。
しかし、私の教えを聞いた弟子たちは、
身体における苦痛は感受しても、心には感受することはない。
それは、あたかも第一の矢は受けても、第二の矢は受けなかったようなものである。
そのわけは、私の弟子たちは苦の生起と滅尽、
苦を克服する道である四つの真理と八正道を知っており、
苦によって支配束縛されることはないからである。


パーリ原始仏典相応部経「矢」




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