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我が宗教にこそ唯一最高の真理真実が説かれている、
という主張はよく聞かれますが、こういう独善性は宗教者にありがちです。

物理学こそが真実で、生物学や数学は真実では無いと、一体誰が言うでしょうか?

本来、大自然の地球上には、人間の作った国境などの区分はありません。

宗教だけは、現象や事実を無視して、偏狭な姿勢を変えようとしません。

これでは、宗教は狂信的だと言われても仕方がありません。

宗教者は、教義や教学ではなく、事実を語るべきなのです。

事実を語らねば、信用回復ははかれません。

神はいるのかいないのか、あの世はあるのかないのか、事実はどちらかです。




歴史的に長い間、教義に対する客観的判断や考慮がなされず、
人々がそれに慣らされて、盲目的に信じて来ているのが宗教である。
例えば、訳の判らぬ仏教の経文を葬式で唱えれば本当に御霊が浮かばれて、
霊的次元が高まっていくのか、という様な事を人々は考慮せず、
過去からの伝統的習慣として漫然と行って来ている。
この地球人類の宗教とは私観的、情緒的なものであり、
人々は自分達の宗教と一致しない他宗教の人々は、
間違っていると頭から信じている場合が多い。
この様な観念で人々がそれぞれの宗教宗派を盲目的に信仰しているから、
地球上の宗教宗派の紛争は歴史的に長く継続され解決がなされないのである。
大切な事は大自然界の事実である。 
大自然界の大いなる生命そのものの力と働きには宗教宗派の差別はない。
人間・動物・植物の差別すら大自然界の生命の営みに差別はないのだ。
宗教宗派は、人間が大自然界の事実の一部をそれぞれに認識して、
人為的に作った大自然界の解釈の方法手段である。
大自然界の単なる解釈の方法手段なるが故に事実、
宗教宗派はなくても全生物の生存は可能なのだ。
しかし、もし大自然界の大生命の営みがなければ、
如何なる生物の生存も不可能である。
宗教宗派で言う真理とは、大自然界の事実そのものを意味していなければ何らの価値もない。
宗教宗派の真理が大自然界の事実そのものに立脚していなけれは、
人間の単なる勝手な想像・錯覚に過ぎないからだ。
大自然界の事実を解釈する方法や手段には自由選択性があっても良いが、
事実に立脚していない事を宗教宗派で真理や教義としている事は明らかな間違いである。
宗教宗派が大自然界の事実に沿った解釈や教義をしているならば、
宗教宗派の分裂や争いは無くなる。
何故なら、普遍共通なる大自然界の事実を真理や教義としていれば、
悟ったところは全て同じ事になるからである。
人類が今日持っている様な宗教宗派の分裂や対立を、
キリスト・釈迦は、当時予想もしなかったであろう。
彼らの解いた真理や教義とは大自然界の事実そのものであり、
宗教宗派ではなかったから、人類の宗教宗派による分裂・対立・紛争などは、
彼らにとっては想像もつかなかった事であろう。

ジナ・サーミナラ「神の理性」




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