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2008.11.11 宗教の起源
宗教の起源については、いろいろと難解な議論がありますが、
霊的世界を信じることが出来れば、驚くほどシンプルに理解できます。

宗教は起源を霊的世界に持つという意味で、
全て同一の根源から現れてきたものなのです。




古今東西を問わず、宗教宗派とは、創始者・教祖達の霊視・霊聴の体験・経験を基に、
神秘的な意識を開発発展させたものだという事も可能であると思う。
マサチューセッツ工科大学の哲学教授ヒューストン・スミスは、
この様な心霊的現象に対して論文を発表し、
未来の宗教歴史を研究する者達が注目するであろうと述べている。
この様な心霊的現象は陶酔状態であろうが無かろうが、
神秘的体験・経験を得た宗教宗派の創始者・教祖達が超越的世界からの言葉をもって、
この世の様々な事柄を説き明かしているのは事実である。
ともかく心霊的、神秘的経験・体験などによって、
今日の宗教宗派が特定の人によって始められたのは明らかな事実である。
この事から世界的な既成宗教も同様に、
古代において人によって始められた、と言う事も推測出来るだろう。
世界的に主な宗教を例にとって見てもこの事実は証明される。
例えば、ユダヤ教のモーゼ、キリスト教のイエス、
ゾロアスター教のゾロアスター、道教の老子、儒教の孔子、
ジャイナ教のマハヴィーラ、仏教の釈迦、イスラム教のマホメット、などの例である。
これらの例は世界的に偉大な宗教というものが優れた人によって始められた事を示しており、
その時代の人々に生きる知恵や倫理道徳観を説き明かし、
より良き生き方を教えて人々を救って通った事実は偉大なるものであったと思われる。

宗教の教祖・創始者と言われる人達は、その時代に最も必要と思われる抽象観念を、
神秘的・霊能力的に把握して人々に教えていったのである。
宗教の創始者・教祖らは自分達が抽象観念として悟った大自然界の事実や、
真理法則の全てを弟子達に説き明かしてはいない。
例えばイエスの場合、
自分が受けた天啓のある一部分を弟子達に教えたに過ぎないとされている。
何故なら、イエスが天啓によって得た抽象観念の全てを、
弟子達が未だ受け入れる準備が出来ていなかったからだ。
イエスは、自分が持つ抽象観念の一部を選択的に弟子達に与えたのである。
釈迦の場合も同様な逸話が記録されている。
釈迦がコサンビの地のシンサパ森に居た時の事であった。
シンサパの木の葉を手に取って、釈迦が弟子達に向かって尋ねた。
「私の手にある木の葉と森の木の葉とどちらが多いだろうか?」
すると、弟子達は、
「手の中の木の葉は僅かですが、森の木の葉は沢山あります。」と答えた。
「その通りだ。」と釈迦は言って次の様な教えを説いた。
「私がお前達に教える事は、私が知っている事柄のごく一部である。
私の全ての悟りや全ての知識の中からお前達に必要な事だけを選択して授けているのである。
何故、私が全ての悟りや全ての知識をお前達に授けないかと言えば、
ある部分は、お前達が未だ受け入れるまでに成長していない為であり、
又ある部分は、お前達に教えても役に立たないものだからである。
私は、お前達が素晴らしい悟りを持って、
極楽浄土のニルバーナの世界へ行くのに必要な教えだけを選択して授けているのである。」

偉大なる教祖達は知識的・論理的思考によって、
大自然界の深遠なる事柄の抽象観念を得たとい言うよりはむしろ、
神秘的な啓示や霊能力などによって得た、という事の可能性が高いかも知れない。
とにかく永遠普遍なる大自然界の事実や摂理を知覚・認識し、
抽象観念として悟ったからこそ、それを一般の人々に啓蒙布教できたのだ。
偉大なる教祖達は大自然界における原因・結果の理法を、精神的・霊的事柄や、
運命・環境にまで当てはめて、より価値ある生存を説き、更に宗教宗派を越えた、
全生物の生命の神性一体感と生命愛などの大自然界の摂理を説いて行ったものと思われる。
生きるという事は生命活動の姿であり、肉体的・物質体的生命活動だけが、
生きる全てでは無い事を説いて行ったのだと思う。
大自然界における生存とは肉体的・物質体的生命活動だけでは無く、
精神的・霊的生命活動もある事を説いて行ったのであると思う。
全生物は大自然界の大生命エネルギーの一部を自分の生命として頂いて生存している。
偉大なる教祖達は、大自然界のこの大いなる大生命活動の重要性を、
神仏の本質として説いて行ったのではなかろうか!


ジナ・サーミナラ「神の理性」




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