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キリスト教徒であろうと、仏教徒であろうとも、
大宇宙の法則からは、逃れることは出来ません。

目に見えぬ働きを考慮しないダーウィンの進化論は、
唯物論哲学の亜流であり、真理の一面しか捉えてはいないのです。




私達の地球という惑星の上には、
ちっぽけな細胞から、無数の異なった種類の生物が生まれている。
それらの生物を研究すると、見事に美しく進化発展する無数の細胞の組織があり、
細胞が組み合わされて、単純なものから複雑なものまでの、
素晴らしい進化と発展の段階を観察する事が出来る。
そして、細胞組織の組み合わせの複雑さの段階に応じて、
知性的な発達の段階もある事が観察されるのだ。
この様な事が、大自然界における神の知性以外に誰が行えるのだろう。
地球上において、人類は、この様な進化発展の頂点に達している生物であり、
全ての生物の意識(霊性)は、
やがて人類の意識や霊性にまで進化発展してゆく過程にあるものである。 
生命エネルギーの不滅さを考慮すれば、
全ての生物の生命は未来・来世へと続くものであり、その間に、
物質界へ輪廻転生しながら自己の意識の開発発展を行ってゆくものだ。
大自然界は大いなる意識の総合体系であり、様々な意識の発展の段階がある。
神は、この全てを総合し超越した意識の段階に存在するものである。
そして、全ての生命あるものは、色々な段階を経て意識の成長発展を遂げてゆくのだ。
肉眼では見えない事と言っても、この事は大自然界に事美存在し得ない事なのであろうか?
この様な思想は、20世紀では未だあまり一般的ではない。
しかし、現代の科学・学問の発達によって、目に見えない波動の存在、
光や音の周波数の存在、大自然界の諸法則、エネルギーなど驚くべき発見がなされている。
これらの研究が、精神的、霊的、生命的存在をやがて証明する事に繋がらないだろうか?
人間の五感を超越した事柄の存在を関知し、
高い次元の精神的存在があるという思想は、古来から考えられて来た。
この考えは、原始的種族の迷信や盲信としてではなく、
アリストテレス、プラトン、ピタゴラス、ネオプラトン主義者達を合むギリシャの多くの哲学者、
科学者達や神学的に真剣で優れた知識人達によって提唱されてきた。
哲学者のプルタークなどはこの様な考えこそ合理的なものだと実際に主張した。
近代に至っては、多くの科学者や思想家達がやはり、
その存在を信じたり、あるいは真剣に考慮したりしている。
十九世紀の著名な生物学者のトーマス・ハックスレー、
自然主義者のアルフレッド・ラッセル・ウォレス、心理学者のグスタフ・フェヒナー、
心理学者のウィリアム・ジェームスなどを含む多くの学者達である。

大自然界には進化発展の段階に応じて様々な精神的・霊的次元の段階が存在している。
それは、物質界が、惑星・衛星・恒星(太陽系)、
そして銀河系・大宇宙という段階的体系となっている事と同じである。
大自然界における段階的体系という事を受け入れるならば、二つの事柄が考えられるだろう。
一つは神が大自然界の段階的体系の全てを初めから創造されたのだという考えである。
もう一つは、進化発展の度合いの違いが、高低の段階を作ったという考えである。
多分両方とも正解だと言えるだろう。
いずれにせよ、次元の高い段階へと進んでゆく事は、
進化論とも全面的に一致しており、最も論理的筋の通った考えと言えるだろう。
確かに、全ての生物の霊は、この地上での生存の経験を通して、
自分をより完全なものにする為に、学び進化発展して自分の段階を高めてゆくのだ。
そして、全ての生命あるものの霊を高めて行くという神の計画に役立つようになってゆく。
全生物の生存とは、その為の進化発展の努力なのである。
たとえ弱肉強食が生存の掟であっても、生態学的に食物連鎖から見れば、
それは、この地球上で全生物が全体として生命現象を維持してゆく為の事なのだ。
それを、現代の人類は、科学学問という知識で判りながら、
環境破壊という事で地球上の全生物の絶滅をもたらす危機を招いている。
多分、キリストや釈迦などの偉大なる始祖達は、
自らの霊を次元の高い神性なる段階に高めた存在であり、
神より選ばれて肉体をもって地上へ現れ、人類を導く救世主であったのであろう。


ジナ・サーミナラ「神の理性」




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