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近代科学が西洋文明で開花する以前は、
古代ギリシャ、インド、ペルシアの諸科学(数学、天文学、論理学、医学、化学)が、
イスラム世界に受け継がれ、発展しています。

宗教と科学が一体となっていた時代には、
イスラム教もまた、科学的発見に大いに貢献しているのです。

宗教は、非科学的であるという思い込みは捨てなければなりません。




9世紀に、アラブ人は、ギリシャの科学と哲学に接触するようになったが、
その結果は、一つの文化的開化であり、それはヨーロッパ的に表現すれば、
ルネサンスと啓蒙主義の交差と見られうるものであった。
多くの翻訳家たち―たいていはネストリウス派のキリスト教徒であった―が、
ギリシャ語のテクストをアラビア語で手に入るようにし、しかも輝かしい仕事をした。
アラブ人のイスラム教徒たちは今や、
天文学、錬金術、医学、数学を研究して大成功を収めたので、
9~10世紀には、アッバース朝において、
それまでの歴史のどの時代よりも多くの科学的発見がなされた。
新しいタイプのイスラム教徒が現われてきた。
それは彼らが「ファルサファー」と呼んだ理想に献身する者たちであった。
これは普通「哲学」と訳されているが、もっと広い豊かな意味を持っている。
18世紀のフランスの哲学者たちのように、
「ファイラスーフ」(ファルサファーに従事する者たち。イスラム哲学者)たちは、
彼らが全宇宙を支配し、リアリティーのすべてのレベルで認識できる、
と信じた諸法則に従って合理的に生きたいと思ったのである。
彼らは最初、自然科学に集中したが、その後必然的にギリシア的形而上学に向かい、
その諸原理をイスラムに適用しようと決心した。
彼らは、ギリシア人の神がアッラーと同一であると信じた。
彼らは、合理主義こそがもっとも進歩した宗教の形態を現すものであると信じ、
聖書の啓示された神よりも高い神についての考えを展開した。
今日ではわれわれは普通、科学と哲学を宗教に敵対的なものと見ているが、
ファイラスーフはたいてい敬虔な者たちで、自分達を預言者モハメットに忠実な者と見ていた。
彼らは、善良なイスラム教徒として政治的自覚を持っており、宮廷の贅沢を軽蔑していて、
彼らの社会を理性の支配に従って改革したいと思っていた。
彼らの冒険は重要であった。
彼らの科学的および哲学的研究がギリシア思想に支配されていたので、
彼らの信仰とより合理主義的で客観的なこの改革的見方との間の、
結びつきを見出だすことが急務であった。
神をばらばらな知的カテゴリーへと貶め、
信仰を他の人間的関心から孤立させて考えることは、もっとも不健康なことでありうる。
ファイラスーフは宗教を廃葉するなどという意図はまったく持っていず、
彼らが原始的で偏狭な要素と見なしていたものから宗教を浄化したいと思っていたのである。
彼らは、神が存在するということを疑ったことなどなかった―実際、
彼らは神の存在を自明なものとしていた―だが、アッラーが、
彼らの合理主義的理想と相容れるものだということを示すために、
このことを論理的に証明することが重要であった。


カレン・アームストロング「神の歴史」




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