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2008.11.26 不滅の業
地獄の描写においては、源信僧都の「往生要集」が有名ですが、
お釈迦さまも、はっきりとこの様子を説かれています。

原始仏典では、
行為の善悪により、肉体の滅後は、地獄・畜生・餓鬼・人界・天界に赴くとされ、
その輪廻には、識(vinnana)が重要な役割りを果たしています。




けだし何者のカルマも滅びることはない。
それは、必ずもどってきて、カルマをつくった主がそれを受ける。
愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。
地獄に堕ちた者は、鉄の串を突きさされるところに至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。
さてまた灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが、
それは、つくったカルマにふさわしい当然なことである。
地獄の獄卒どもは、「捕らえよ」「打て」などといって、誰もやさしいことばをかけることなく、
温顔をもって向ってくることなく、頼りになってくれない。
地獄に堕ちた者どもは、敷き拡げられた炭火の上に臥し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る。
またそこでは、地獄の獄卒どもは、鉄の網をもって、
地獄に堕ちた者どもをからめとり、鉄槌をもって打つ。
さらに真の暗黒である闇に至るが、その闇はあたかも霧のようにひろがっている。
また次に、地獄に堕ちた者どもは、火炎があまねく燃え盛っている銅製の釜に入る。
火の燃え盛るそれらの釜の中で、永いあいだ煮られて、浮き沈みする。
また、膿や血のまじった湯釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。
かれが、その釜の中でどちらの方角へ向って横たわろうとも、血と膿に触れて汚される。
また蛆虫の棲む水釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。
出ようにも、つかむベき縁がない。
その釜の上部は内側に彎曲していて、まわりが全部一様だからである。
また鋭い剣の葉のついた林があり、地獄に堕ちた者どもが、その中に入ると手足を切断される。
地獄の獄卒どもは、鉤を引っかけて舌をとらえ、引っ張りまわし、引っ張り廻しては叩きつける。
また次に、地獄に堕ちた者どもは、超え難いヴェータラニー河に至る。
その河の流れは鋭利な剃刀の刃である。
愚かな輩は、悪いことをして罪を犯しては、そこに陥る。
そこには黒犬や斑犬や、黒烏の群や野狐がいて、
泣きさけぶかれらを貪り食うて飽くことがない。
また鷹や黒色ならぬ烏どもまでが啄む。
罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。
だから人は、この世において余生のあるうちに、
なすべきことをなして、ゆるがせにしてはならない。
ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど永く続こうとも、
その間は地獄にとどまらねばならない。
それ故に、ひとは清く、温良で、立派な美徳をめざして、
常に言葉と心をつつしむべきである。


パーリ原始仏典小部「スッタニパータ」




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