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2008.11.28 神は死なず
「浅薄な哲学は人の心を無神論へ傾けるが、深遠な哲学は人の心を宗教へと導く。」

天才フランシス・ベーコンのこの金言は、現代においても通用します。

19世紀以降、神を語り得ぬ哲学という分野は、色あせ、力を失っていきました。

哲学は、科学に屈する必要はなく、「意味」と「神」とを取り戻さなければなりません。




1885年に哲学者フリードリヒ・ニーチェが「神は死んだ」と宣言したことはあまりにも有名だ。
彼はもちろん、それまで生きていた神が死んでしまったという意味ではなく、
神は最初から存在していなかったという意味でこう言ったのだ。
ニーチェは、神を非科学的な過去の遺物であると断じ、
人類はやがて神など必要としなくなるだろうと信じていた。
世界が大きく様変わりした19世紀から20世紀の前半にかけて活躍したカール・マルクス、
ジグムント・フロイト、ジェームズ・フレーザー、ルートヴィヒ・フォイエルバッハ、
バートランド・ラッセルらの偉大なる合理的思想家たちと同様に、
ニーチェもまた、人々の教育レベルが向上し、
存在の謎について科学がもっと現実的な答えを出すようになれば、
これまで人々の心を掴んできた不合理な宗数の力はみるみるうちに失われ、
あらゆる神が姿を消すだろうと期待していたのだ。
神は、ニーチェの願いなどかなえてやる必要はないと思ったのかもしれない。
科学技術が驚異的な発達を遂げた西暦2000年代に入ってもなお、
神は生き続け、宗教やスピリチュアリティーの探求は相変わらずさかんである。
ニーチェがこの状況を見たら、理性が無知に負けたと憤慨するかもしれない。
ニーチェでなくても、「信仰は、迷信と恐怖ゆえの自己欺瞞によって支えられている」、
と考える冷笑的な唯物論者にとって、人々が神から離れずにいることは、
神なき世界を直視する強さと勇気に欠けていることの証拠以外の何物でもないようで、
このことについて考えようとする思想家など、最近ではほとんど見かけないほどである。
けれども、先入観を持たずに考えてみれば、
合理的唯物論者の言説も、知的に健全であるとは思えない。
われわれはむしろ、宗教がすばらしい粘り強さを見せるのは、
それが、心の弱さゆえの否定や心理的依存よりも深く、単純で、
健全なものに根拠を持っているからだと考えている。


アンドリュー・ニューバーグ/ユージーン・ダギリ「脳はいかにして神を見るか」




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