僧侶のたくらみ

仏教とニューエイジの対話を推進するべく、 こっそりと活動中

文明の流転

流転輪廻するのは、
人間だけではなく、文明も同じです。

地球人類4億年あまりの歴史上では、いくつもの文明が栄え滅んでいきました。

現在の文明は、「知」を中心とするものでしたが、
アメリカ帝国の衰退、物質科学の限界、不毛化する思想哲学、
経済システムの破綻、頻発する天変地異などを見ても、
終焉を迎えつつあるのは、明らかです。

次なる新文明の発祥の地となっていくのは、
東西文明の合流地点であり、大救世主の生誕の地である日本をおいて他にありません。

京都大学名誉教授の岸根卓郎氏も、このような論を唱えておられます。


幸い人類は、神から唯一、知恵というものを授かっています。
その知恵を使って、この危機を克服し、エントロピーを小さくして、
いつまでも生き残れるような新文明をつくり出していかなければなりません。
それこそが「宇宙の意思」なのです。
したがって、これからの新文明の担い手である東洋人は、
これまでの文明史観を大きく変えていかなければならないでしょう。
これまでの西洋史観では、民族闘争における勝ちか負けかといった、
対決と競争の価値観が歴史の中心的な価値判断の基準でした。
これからの新しい文明史観では、「文明の質」がいかに高いか低いか、
もっといえば自然と人類に対し、「文明の貢献度」がいかに高いか低いかが、
歴史の中心的な価値判断基準となるように進化していかなければなりません。
これまで人類文明は、宇宙のエネルギー・リズムに支配されながら、
東と西の文明が互いに交代しながら永続してきましたが、
過去のどの文明も、それまでと同じ内容を繰り返したことはありませんでした。
つまり、「人類文明は、姿を変えるごとに進化」してきたのです。
したがって、これからの新しい東洋文明も、
現在のような対決と競争の価値観から共存と協調の価値観へ、
また物質と利潤優先の価値観から自然と心優先の価値観へと、
大きく進化していくでしょうし、また、進化していかなければなりません。
さらにいえば、新しい東洋文明は、見える世界と見えない世界の融和、
つまり物の世界と心の世界の融和の方向へと大きく進化していくでしょう。
もっと具体的にいえば、新人類文明は西洋の物質文明と東洋の精神文明を融合させ、
これまで西洋文明によって切り離されてきた科学と宗教と芸術を、
本当の意味で融合させるような、質の高い、
これまでになかった全く新しい文明へと進化していくものと思われます。

今はまだ、科学と宗教が対決しているから戦争が起きるけれども、
科学と宗教が芸術によって融合され、三位一体化していくようになれば、
戦争というものが否定され、人類文明はもっと高次元の競争心を高次元の場で、
開花させるという方向で進化するのではないかと思うわけです。
その際、期待されるのが「天才」の出現です。
風船は手のひら全体ではなかなか割ることができませんが、
針をもってきてちょんと刺せば簡単に破裂します。
手のひら全体を大衆とすれば、針は一人の天才に相当するでしょう。
歴史の進化とはそういうものだと思います。
宇宙の意思は、適当な時期にそういう天才を輩出させ、
人類を進化させているのではないでしようか。


「見えない世界を超えてすべてはひとつになる」




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パール判事の魂の再軍備論

最近また、
右左両陣営から注目されているパール判事ですが、
戦後間もない来日時の講演でこんなことを言っています。

少なくとも、彼は偽善的な平和主義者ではありませんでした。


私は日本のみなさん、ことに日本の青年諸君に、
非暴力の思想を充分深く研究してくださらんことをお願いする。
しかし、非暴力ということは、断じて怯懦ということではない。
「暴力と怯懦といずれを選ぶかと問われるなら、私は躊躇なく暴力を選ぶであろう」、
とマハトマ・ガンジーも喝破している。
非暴力ということは暴力以上の勇気を必要とする。
すなわち暴力を押しのけるだけの、
暴力者をしてついに暴力を放棄せしめるだけの力を必要とする。
そのための軍備こそ必要だ。
つまり人間の精神力の軍備、「魂の再軍備」を提唱したい。
この「魂の再軍備」こそ、武器による再軍備以上の非常なる決心を要求するであろう。
この道は決してなまやさしい道ではない。
私は日本国民がこぞって、この困難にして決意を要する、
平和手段による平和運動に挺身されることを祈ってやまない。
もはやわれわれは、戦争に導くような、武力による平和手段を信じてはいけない。
ローマ帝国をみるがいい。武力によって統一したローマは、武力によってほろぼされた。
武力による一時的な平和と繁栄は、かならず崩壊する運命にある。
われわれは人間の持っている高い精神を唯一の武器として、
一切の戦争の因子にむかって、激しい抗争をいどまねばならぬ。
すなわち人間の魂―人間の心の中に秘められている魂―という武器をもって、
あらゆる武力的紛争の中に敢然と戦わねばならぬ。
しかしながら、この非常なる決心をもつには、道徳的な力を必要とする。
しかして道徳的な力は宗教によってもたらされる。
宗教は人間に無畏の精神、すなわち畏れざる、恐怖観念なき、
正道を踏みて死すとも悔いなき大勇猛心を涵養する。
宗教なき国はほろび、宗教なき人間は怯懦となる。
したがって宗教のないところに、ほんとうの力ある平和の実践行動は起きてこない。
私は日本を旅行して非常に感心したのは、たくさんなお寺や神社のあることである。
そのたくさんのお寺や神社、そしてかくのごとくきれいな清楚にして荘厳な、
お寺や神社を持つ国は、世界のどこにもないのではなかろうかと思う。
日本がこのような立派な神社や寺院を持ったということは、
過去において日本に深い信仰があったことを証明する。
しかし現在におけるこれらのお寺や神社のありさまはどうか。
それは多く宗教心の対象であるというよりも、たんなる博物館ではないか。
教義を説き祈りをささげる場ではなくして、たんなる見せ物に堕しているのではないか。
かくのごとく、みなさんの祖先が、深い信仰心によって築きあげた見事な宗教の殿堂を、
みなさんがたんなる博物館にしてしまったということは、
祖先に対する背信であると同時に、宗教心の堕落を意味するものであると思う。
私は、現代日本人の心に、ふたたび宗教心がよみがえることを祈るものである。
どうかみなさんの生活の中に、宗教を生かしていただきたい。
これこそ日本の「魂の再軍備」の第一着のしごとであると確信する。

どうして僧侶や神職は、日本の次代をになう青年学徒に、
教義を説かないのか、人生問題を説かないのか。
人間の心のなかに眠っている宗教心をよび醒まそうとしないのか。
せっかくの施設と機会をもちながら、これが少しも生かされていないということは、
まことに残念なことであると思う。
きょうも私はある宗教の指導者と会って、こんなことを申しあげた。
「日本にはお寺や神社はあるが、宗教がない。
生活の中にとけこんでいない宗教、人生における精神生活の支柱をなしていない宗教、
そんな宗教はほんとうの宗教とはいえないと思う」と。

私はここで仏教の教義を説こうとするものでない。
ただ人間が信仰することによって、宗教をその生活の中に導入することによって、
凡欲下賤の子といえど、高い魂の把持者たり得るということをいいたかったのである。
この高い魂をもって、平和的手段による平和の獲得のために戦うということが、
私のいう「魂の再軍備」なのである。私はくり返し申しあげる。
みなさんの国は美しい国である。自然そのものが平和と愛の国である。
この美しい国をより美しくするために、宗教によってその魂を磨きあげていただきたい。
広大なる慈悲の精神、妥協なき正義の精神、何ものをも恐れざる無畏の精神、
この高められた精神によって、この美しい国を守っていただきたい。

「パール博士平和の宣言」




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本来の科学

還元主義の崩壊の先に、光が見え始めました。
物質主義の終焉とともに、神秘と畏怖すべき宇宙が現れたのです。

これと連動して、思想・哲学も変化を余儀なくされるでしょう。

神を否定することが主な仕事の近代の仏教学者や僧侶にも同じことが言えます。





多くの還元主義・唯物論者たちは当然、彼らの方法こそが歴史的に、
近代科学革命を起こしたのだと好んで主張するが、これは正確ではない。
科学の誕生には、思想や環境の豊かな歴史が必要であった。
大まかに言って、多くの初期の科学者を動かしたものは、それ以前の、
至高の造物主信仰によって吹き込まれた、
宇宙の規則性と優美さに対する信念であった。
この先行する信念を、近代科学の創始者たちの間に見出すのは難しくない。
たとえば、太陽系の優美な記述を求めて、ニコラス・コペルニクスは、
「最高に善なる秩序正しい創造者によって、我々のために造られた宇宙の機構」、
を発見しようとしたと説明している。
それは「最高の、もっとも秩序正しい芸術家が我々のために造った」宇宙である、
と彼は言った。この信念こそが、我々の太陽系のごたごたした内実も、
きっと完全に読解可能な、根底的な統一性をもつに違いないと、
彼に予測させたのであった。要するにコペルニクスは、
我々の最新の科学があらためて再発見しつつある前提―自然は、
叡智によって秩序付けられているという前提―から出発したのである。
我々は繰り返し「唯物論者」に言及した。
我々の頭にあるのは、宗教について疑間をもつ平均的な人々や、
自然の秩序の新しい規則性を探し出そうとしている実験科学者ではなく、
世界から超自然的なもののすべての証拠を一掃しようと躍起になる戦闘的唯物論者、
粗野な無神論者である。このような戦闘的な唯物論者は、
おそらくアメリカの人口の10パーセント未満、
ヨーロッパでもそれをあまり超えないだろう。
ところが彼らは、必死になって学問の世界の権力の座を手に入れようとし、
これを支配してきた。
そのため、そういった人々が高等教育の終身在職権のある地位を占め、
法曹界でも異常な割合でこの種の人々が支配している。
しかし彼らの努力に逆らうように、自然界の意味と秩序は、
再び自己主張をし始めている。実際、生物の非現実性を証明するどころか、
逆に唯物論・還元主義のプログラムそのものが、いかに生物の世界が、
人間の叡智の作品に通ずる特質を体現しているか、
いかに絶妙に人間の観客に適合させられ、あらゆる局面で熱心な研究者を驚かす、
深さ、明晰さ、調和、優美さの特質を示すかを、誰の目にも明らかにしつつある。


ベンジャミン・ワイカー/ジョナサン・ウィット「意味に満ちた宇宙」




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試練の時

天変地異が次々と起き、
世界には不安が広がりつつあります。

地球の浄化作用はまだまだ続くようです。

これからの厳しい時代を生き抜きましょう。

とにかく、今を生きることに集中することです。

暗いニュースばかりではありません。

ニューエイジに入って、
我々は皆、永遠のいのちを与えられた神仏の子である、
というメッセージが頻繁に発信されています。

そして、真実に目覚め、愛に生きる人が増えはじめています。

宗教間対立を超越した愛のみが地球を救うことになるでしょう。

試練が過ぎれば、黄金の時代が待っているのです。




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体を動かす

お釈迦さまは、
80才で入滅される直前まで、伝道のためにインド中を歩き続けました。

仏教といえば、
瞑想的で静的なイメージがありますが、驚くべき行動力と活力です。

仏教には、経行(きんひん)と言って、
一定の場所を往復して歩くという、心身を整える健康法があります。
これは、食後に行う腹ごなしでもあったそうです。

このように、
体を動かすことは、健康生活にとって欠かせません。

機械ならば使えば消耗しますが、
人間は活動するように出来ていて、
使えば使うほど、鍛えられて強くなっていくのです。

また、心と体は連動しているので、
体を動かして汗をかいた後は、不思議と、すっきりと爽やかな気分になります。

鬱状態も、軽い運動でなおってしまいます。


スピリチュアルだからといって、肉体をおろそかにしてはいけません。

私たちの乗り物である肉体は、
長い間人生修行に使っていくためにも、
細心の注意を払って、扱われるべきなのです。




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電動OK

ムフフ、キター。
5年と言わず早くしてください。


コピペ
電動カブ発進 ホンダが開発へ

ホンダは29日、国内を代表する二輪車「スーパーカブ」の電気自動車(EV)版の開発に、
乗り出すことを明らかにした。ガソリン価格の高騰や環境問題への対応策として、
日本郵政グループが“電気カブ”導入の意向を示しており、
一定の需要が見込めると判断した。
ホンダは「環境対応型バイク」の象徴として開発を進め、5年内の商品化を目指す。
開発に着手する電気カブは、四輪の電気自動車と同様に電池とモーターで駆動する。
電池は大容量で小型・軽量化しやすいリチウムイオン電池を採用する方向だ。
家庭で充電できる長所は残しながら、新型電池の採用で走行距離を大幅に伸ばす。
ホンダでは「過去のノウハウがある」(幹部)と実用化に自信をみている。
ホンダは平成6年に独自開発の電気スクーターを発売した実績がある。
ただ、官公庁や自治体などへの販売が中心で、販売台数も200台にとどまり、
現在は販売していない。一方、日本郵政グループは集配用車両として、
現在8万9000台超の二輪車を保有しているが、
次世代車両となる電気カブの開発についてホンダに打診しているもよう。
同グループの郵便事業会社は四輪車について今年度から、
全保有車両(約2万1000台)をEVに切り替える方針で、
二輪車も順次EVに切り替える意向とみられる。
 スーパーカブは昭和33年の発売以来、
燃費の良さや耐久性が評価されて国内外で普及した。
現在、アジアや中南米を中心に世界15カ国で生産、160カ国以上で販売され、
世界販売台数は累計6000万台を突破している。




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僧侶とスピリチュアル

愚僧が、ブログをはじめて半年あまりになります。

果たしてスピリチュアルブロガーの仲間入りは出来たのでしょうか?

スピリチュアルというほど、先鋭的な内容にもなっていませんし、
霊的存在からのメッセージも発信していません。

堅苦しく、同じ事ばかり言っているようでもあります。

しかし、とにかく仏教というものがあまりにも形骸化しているのが悲しいのです。

僧侶が魂の存在を否定して葬送儀礼に従事しているとは、詐欺同然。

お坊さんであることが恥ずかしい、という事態は仏陀への冒涜です。

無霊魂を主張する近代仏教学は誤りであり、スピリチュアルの方が真実なのです。

これからも日々、精進します。




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歯は骨

歯医者さんに生まれて初めて行ってきました。
それは、歯のクリーニングをしてもらいたかったからです。

しかし・・・・、何故かレントゲンを撮られ、親知らずが発見されてしまいました。

しかも、その上下4本とも抜かねばならないとのことでした。



親知らずは、成人以降に生えてくることが多いといいます。

英語では、wisdom tooth(叡智の歯)といいます。

何故、人間に不要なものが生えてくるのでしょうか?

その偏見は、
自然淘汰説にもとづく進化論という悪しき思想が医学の常識となっているからです。

盲腸や扁桃腺と同じで、それには必ず意味があるはずです。



愚僧は、脅されて歯医者さんが嫌い(トラウマ)になったのでした。(*_*)

しかし、歯医者さんよりも、2ちゃんねる上のカキコを信じます。

大丈夫かな(笑)。


コピペ
親知らずを抜こうと思っているお前ら!!

1 :病弱名無しさん:2007/08/05(日) 03:09:41 ID:bXKQUOkx0
抜くな!
歯医者の売り文句に騙されるな!!
親知らずは噛むのにものすごく役立っている大事な歯だ!!
親知らずどころか虫歯は治療しなくても歯を磨き続ければそれ以上は悪くならない!!
虫歯はなるべく治療せずに放っておくのが一番!!



ちなみに、歯医者さんは何も悪くありません。

愚僧が偏屈なだけなのです。




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信仰の復活

信仰という行為を蔑み、
まるで盲信のごとくに嫌う合理主義者は、
何故か、仏教者の中にも多いようです。

彼らは、宗教を非科学的なものと見なし、
科学的真実のみを信奉しているのです。

しかし、近年にはそのような考えは、もはや時代遅れとなりつつあります。

唯物論は崩壊し、ポストモダンも不発に終わり、
混乱したアカデミズム界のなかからも、新たな思想潮流が見え始めてきました。

明らかに、神の存在や霊的事象を受け入れる人は増えてきています。

若者文化の中では、スピリチュアルは認知され、
信仰というものは、ファッショナブルですらあるのです。

これからは、
目に見えないものに対する感性を持ち、
霊性に対して開かれた心を持った世代の時代です。

より崇高で善なる価値観を求めるのはごく普通のことです。

信仰は美しいものです。

そして信仰は、人は強くし、魂を進化させるのです。




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心の価値

心の価値に目覚めましょう。

心には偉大なる力が備わっています。

心が変われば、全てが変わるのです。

心こそ、唯一あの世に持ち帰ることの出来るものなのです。


もろもろの法はこころを先に、 
こころを主に、こころより作られる。
もしも清らかなこころをもって、 
語り、あるいは行えば、
それより楽がかれに従う。 
離れることなき影のように。


パーリ原始仏典小部「法句経」




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